2011年


最近のおでかけZIOさん

12 24 鷹ノ巣山 12 13 洒水の滝から矢倉岳
12 11 八王子城址 12 05 オロセ尾根、タワ尾根、水松山南東尾根
11 26 27 幕山・天城山 11 17 鉄砲木ノ頭・高指山
11 14 西丹沢より雨山峠~檜岳へ 11 8 西丹沢より加入道山・畦ヶ丸
11 1 信州峠より横尾山 10 27 松姫峠・鶴峠より三頭山
10 24 西丹沢県民の森より檜洞丸  10 16 塔ノ岳 大倉尾根~三ノ塔尾根
10 4 5 雲取山・三条の湯 天平尾根 9 28 麦山浮橋より三頭山


寒波がやってきた。
雪国の雪の到来は今年は早いのだろうか。
冬型の天気で雪国が雪といえば関東平野は晴れ、山好きには、山においでおいでの季節とも云えそうだ。
今日は好天、その誘いに乗りましょう乗りましょうと、鷹ノ巣山へ。
奥多摩湖に車を停めて水根沢からのルートを辿る事にする。
以前表示板を読み違えて作業道を伝って六ツ石山まで詰めた事があり今度は王道を行く事にする。
石積みが残る古くから歩かれた路、とても気持ちの良い路である。朝陽に照らされた山の木々もすっかり冬木立、サクサクと歩が進む。
縦走路に飛び出ると一級の展望が迎えてくれる。まず始めに富士山、風が強いのだろうか、東側に雲が湧き出でてるようだ。
更に歩みを進めれば大菩薩嶺の後に南アルプスの白き峰が連なって見える。そして石尾根を振り返れば御前山、大岳山が身近に見える。
ただ単純に嬉しく愉快である。霜柱立つ縦走路は雪はなく、北斜面にその痕跡、アイゼン無では駄目よと云っているようである。
頂上は風が冷たく長居は無用、留まっている人も2、3人、10分程度の小休止で下山する事にしました。
大岳山を真正面に見ながら、木の間越しに長沢背稜の山々を見つつ下る石尾根は何とも愉しい。珠にランの人に抜かれたりして都下の山を感じる。
三ノ木戸山の手前で寒風の為避けていた遅めのランチ、横並びの御前山が大きく見える。
そして奥多摩駅へ。途中の社が気にかかる。お狐さんを飾っている所を見ると奥多摩に多い金毘羅社なのであろう。
直ぐ下に広がる石垣の痕跡とみると、そこに以前住んでいた山の民の氏神なのだろう。
更に下ると羽黒山三田神社がある。修験道と強く結ばれている事を窺わせる。
そんな、こんな妄想を逞しくしているうちに奥多摩駅到着、そこから奥多摩湖へ、10分程の待ち合わせでバスで引き返したのでした。(12/24)
眼前に富士山が良く見えていて、翌日が確実に天気が崩れると知っていたら、さて?
今、動けるのであれば、行動するしかないでしょう。
そんな動機付けで、拠点Aから10時過ぎてから向った山は矢倉岳、洒水の滝の駐車場に車を置いて登る事にする。
この辺り一帯、二十一世紀の森という公園になっていて、林道が縦横に走っているようで、それを繋いで行けば何とかなりそう。
そして、それはその通り正解なのだが、林道とは名ばかりの結構荒れていて、ズダズダ。内山から森林館に通じている林道にでるまでは油断ならない。
それに出てしまえば、後は道なり、しっかりした登山道も矢倉岳まで続いているので、楽勝である。
矢倉岳頂上直下で若者6人程のグループと賑やかにすれ違い、頂上は如何ばかりかと思いきや、誰も居ず拍子抜け、
富士山は、まだ雲に隠れずいてくれて安堵の一息です。
愛鷹山と箱根の山々が良く見えています。以前万葉公園側から手軽に登ったときより、やはり印象深いといえそうです。(12/13)
洒水の滝 明神ヶ岳 箱根山 金時山 富士山と愛鷹山
八王子の友より誘いあり。今日あたり自宅からダイヤ富士が見えるかもしれないから、それを見ながら一杯如何かと。
この誘いに乗らない程、間抜けではないZIOめは、手土産代わりのワインをひっさげて、ホイホイと友の家を訪れました、ハイ。
まだ陽の高いうちから酒盛り開始、日の入りを待ちます。(持参のワインは早々に飲みつくし、あとは先様の美酒をグイグイ・・。お恥ずかしい)
そんな訳で、富士山の真上からちょっと左側にそれたものの見事な夕映えの富士を肴に至福の時を過ごす事ができました。
南無阿彌陀佛、西方浄土に想いを馳せる一瞬でもありました。
左に目を転ずれば丹沢山塊も見事です。前日の雪で冬の装いの蛭が岳、いいです。
山の姿が夕闇に沈んでいくと、家々の灯りが増し、宵の明星、金星が輝き始めると、今夜のメーンイベント、皆既月食の序章の始まりです。
お酒で、出来上がってしまうのと、皆既月食が始まるのと、どこいどっこいの辺りで、宴は果てたのでありました。
深酒の翌日となると、行くところは限られます。そこで念願の八王子城址を散策する事に。
霊園前で下りて管理棟へ行きます。ガイドサービスがあったので頼んでみる。小一時間ばかりガイドの案内により、大手門跡、曳橋、御主殿等を見学。
なかなか好い佇まいである。その後、本丸跡へ足を延ばしてみる。八王子神社が祭られているそこは、今、マイブームの牛頭天王の祭られている所。
海を伝い、山を伝い、護持されながら、ここを通過していったのであろう。麓の宗閑寺の山号も牛頭山というらしい。
そして富士見台へ。確かに城山越しに富士山が見えている。堂所山まで行きたいところだが、地蔵ピークから駒木野へ、そして高尾駅に歩いたのでした。
(12/11)
6月に材木小屋尾根、仙元尾根を歩いて以来、日原周辺を歩いていない事が気になり、出かけて見ました。
既に、紅葉シーズンは終わり、冬木立の中を逍遥するのも、いいかな、という感じで、取り敢えず八丁橋まで車を走らせる事に。
始めは「金袋山のミズナラ」に今年最後のご挨拶を、と思っていたのですが、オロセ尾根を登っているうちに、‘もっと歩きたい’という欲求が。
そこで、タワ尾根を詰めその頭まで行く事に予定変更、ミズナラさんには次回ということでパスさせて頂きました。
さて、林道取り付き点より黙々と歩みを進める。1123m過ぎる辺りから朝の陽射しの中に美しい冬木立の様が立ち現れてくる。
そう、こんな光景を見たくて、この山を訪れたんだ!そんな想いが静かに湧き出でてくる。
そんなにも浸ってばかりいられません。ゆったりと歩みを進めます。気の向くままに、これが、お一人様の好いところなのでしょう。
間も無く篶坂ノ丸に到着。きょうは(も)誰もいません。水のみ休憩をして進路を北西に、ウトウノ頭に向かいます。
そうそう、ここでびっくりしたのはモノレールの敷設。ネット情報では伝え聞いていたけど、目にするのは初めて、えらい様変わりです。
ウトウノ頭では取り替えられた陶板の表示板をしっかり撮影、樹間越しに天祖山の採石場を垣間見、反対方向に三ツドッケを身ながら更に進みます。
長沢背稜縦走路を横切って、タワ尾根ノ頭へ直進。雪を被った富士山が天祖山の上に頭を覗かせています。
山標石の脇には一昨日の雪の痕跡も。そして尾根通しにランチ場所、ヘリポートに向います。
ヘリポートからは山々が良く見えています。やはり最初に同定できるのは両神山、その奥に奥秩父の山々と諏訪山等西上州の山々。
時計方向に目を転じてゆくと御荷鉾の山、その後は妙義、榛名の山並み、赤城の裾野も、奥は雲が掛かって、谷川、日光の連山は無理そう。
反対方向は、やはり富士山、大岳山も奥多摩のランドマークとしての存在感を見せている。
存分に山座同定をし終えたら、ランチにしましょう。風が通り抜け寒い。やはり、まず、コンデンスミルクたっぷりのホットコーヒーでしょう。
コンビニ弁を当食べ終え後始末を始めた頃、若い女性単独行者が通りかかる。通り過ぎようとしたので、ここは好展望地、見ていったらと呼び止める。
奥多摩駅から石尾根経由の奥多摩小屋テント泊、雲取に登って、今日は長沢背稜を一杯水小屋まで、明日川乗山から下りるとか。
いわゆる山ガールと違う山ガールに遭遇でき、見目麗しさも手伝って、稜線の風のような、爽やかさを感じたZIOめでありました。
その彼女に背を向けて、水松山へ。
そこから、真っ直ぐ尾根を下ります。主稜尾根を外さぬよう慎重に、やや左側に進路をとりタワ尾根を見つつ下ります。
落葉樹林が広がりのどかです。その分、落ち葉で路は不明瞭、テープもあまりないようです。
どこで「梯子坂ノクビレ」からの路と合流するのかなと思いつつ下ります。尾根の突端でらしき路に合流、でも前回同様、そこから渓に行き着く路を見失う。
またもや、強引に渓を渡ったのでありました。あとは御供所への路を下ります。小滝の付近で、トラロープがトウセンボ。
この路、今は通行止め表示をしているようです。(ホッ、反対廻りで良かった。)
御供所に降り立ちます。なんと、ここにモノレールの基地がありました。去年は無かったような気がするのだが・・・。
という訳で、孫惣谷林道をテクテク、陽がまだ高いうちに八丁橋に帰り着いたのでありました。(12/05)
朝日を浴びる孫惣谷林道 篶坂ノ丸直下の風景 ブナに日光写真
篶坂ノ丸まで伸びてきているとは 表示板が随分上になった様な気が タワ尾根の頭からの富士山
両神山と奥秩父の山々 熊倉山に続く尾根と西上州の山並み 大岳山とタワ尾根
晩秋山行と銘打つ某山岳会の行事に金魚のフン的同行者として参加。
今回は幕山で足慣らし、宴会、天城山への登山というもの、身をバスに任せ、山行リーダーに任せの、山登りでありました。
幕山は梅の季節でないので閑散、それでも、それなりにハイカーがやってくる。陽だまりハイクに手頃、犬をつれての散歩の人もいる。
それとここはクライミングのゲレンデ、若者を中心に岩と遊ぶ姿を多く見かけた。好い点景と振り仰ぐ。ちょっとだけそそられてしまう。
下りてきたら消防車がサイレンを鳴らしてやってくる。その岩場で転落事故が起きたらしい。
間も無く若者が背負われて下りてきた。大事に至らなかった模様、良かった、良かった。
翌日、天城高原ゴルフ場の登山口に。予報から曇りがちの晴れと思いきや、富士山が裾野までクッキリ見える程の好天、嬉しい限りである。
2001年同じ11月に来た事があるけど今回はどうだろう。コースは同じ万次郎岳・万三郎岳の周回コースを辿るようだ。
その時はカエデ類のアカにかなり昂奮したけれど、半月遅いとなると、やはり、ほとんどの木々は葉を落としきっている。
それでも普段歩いている奥多摩辺りの樹相と明らかに違う様を見るのは愉しい。ヒメシャラの幹が輝いている。
ゴルフ場の脇を通り、崩壊地を通り抜けると頂上は直ぐ。花の時期でもなく紅葉も散り敷かれ、とにかくせっせと登ります。
そして、展望の良くない万次郎岳を後にして万三郎岳に向います。途中の富士見のビューポイントで富士山に歓声を上げて急勾配を下ります。
アセビのトンネルを抜け石楠花の群生地を通り抜けて万三郎岳に到着。ここでランチタイム、私も熱めのお茶を頂く事にしました。
その後もブナ林を愛で、ヒメシャラの林を愛で、愉しい山行を終えることができました。(11/26.27)
万次郎岳御料局測量点 万次郎岳より万三郎を望む
富士山を望めてハッピー 伊豆七島を 箱根方面
富士山が良く見えている。勿論我が家からというのでなく、拠点Aから。
お出掛け虫がムズムズ。そして素直にお出掛け。既に9時、そこで富士見散歩のコースに選ばれたのが鉄砲木ノ頭。
まず、山中湖パノラマ台に行ってみることにする。少し雲が掛かってきたけど見えてます、秀麗富士が。
早速山仕度。その間にも次々車が、そしてドアを開くや否や、一様にあげる歓声。カメラマン、ハイカー、観光客、大賑わいである。
ススキ野を振り返り振り返り登っていく。眼下の山中湖も美しい。その奥に連なる山々は南アルプス、近くには杓子、石割、御正体と山が繋がる。
いい気分の内に鉄砲木ノ頭に到着する。若者の集団がいる。皆ラン・スタイル。何処かのトレイル・ランのグループみたいである。
その集団が駆け下りるのを見送って高指山を目指す事にする。すっかり葉を落とした木々の間を進む。意外にツツジが多い。
高指山に着いた頃には富士山は雲の中、予想より早くお隠れである。でも、もう昼時、今日はここまで、ここでランチとする。
こんな時もあってもいい。黒雲が近づいてきたのを機に腰をあげる。元来た路をゆっくりと戻る。
帰り着いた鉄砲木ノ頭では、また富士が顔を出し始める。今日の夕日はどの辺りに沈むのだろう。
でも、良い子は日が沈む前に家に辿り着かなくては。山中湖湖畔の紅葉を愛でながら家路につくZIOでした。(11/17)
鉄砲木ノ頭
高指山から御正体 山中湖湖畔の紅葉
丹沢の展望台、大野山から見ると、蛭ヶ岳に繋がる山並みで最初にでんと構える檜岳(ひのきだっか)、気になる山でした。
そこで、丹沢づいた勢いで登ってみる事にしました。
高気圧が張り出して天気は安定、雨の心配がないので雨山峠~檜岳~秦野峠のルートをとって見ることにする。
寄の最奥、水源林管理センターのゲート前に車を置いてゲートをくぐって林道を歩き始める。
ここは見本林みたいになっていて、毎週土曜日ガイドもあり、是非時間があったら訪れたい場所とチェックを入れて置く。
林道が尽きると寄沢を詰めていく。成る程「雨天時通行禁止」の立て札通りの道である。慎重かつ確実にゆったりとした歩調で歩を進めていく。
沢の源頭部が近づくにつれ、渓谷の紅葉が美しい。最後の彩りを見せてくれているのかもしれないと、つい勝手に思ってしまう。
雨山峠は休憩するには、いかにも落ち着かない。一息入れて雨山に向けて歩を進める。振り返ると木ノ間越しに丹沢主稜が見える。
登りきれば伊勢沢ノ頭までは冬枯れの木立の中の散策である。もう少し早い時期だったら紅葉を愉しみながらの歩きだったのにとちょいと残念。
木の間越しに山並みが見えるものの、全体に展望は宜しくなく、やや退屈さを禁じえない。
伊勢沢ノ頭からは一気の下り、そして林道秦野峠へ。ここで大休止、ランチをとることにする。
誰に気にする事無く荷物を拡げ、コンロを取り出してのランチは、なんとも優雅な気分にさせてくれる。
あとは、林道をポクポク歩けば出発地点に辿り着ける。この安心感もなんとも心地よい。(11/14)
雨山峠への路
雨山峠 峠から 雨山への途中、振り返れば丹沢主稜
冬枯れの檜岳山稜 檜岳へ
ケマルバ?スミレ リンドウ ヤクシソウ
また、また西丹沢へ。きょうは西丹沢自然教室から加入道山・畦ヶ丸と周遊してみる事にする。
トイレを済ませ、入り口の「山ノ神」にご挨拶をして出発である。
白石沢を詰めていき白石峠に至る道、林道がつきると早速、沢を渡る木橋が現れる。周囲は程よく紅葉している。
その後次々に立て現れる橋、そのいくつかは豪雨の度に架け替えられるのであろう。それでも奥の堰堤付近は半分埋まったりしている。
ガスがだんだん濃くなってきて「白石の滝」がうっすらとしか見えない、残念!ここから上は大体の木々は、もう葉を落としている。
道は加入道山の鞍部に取り付く。そして加入道山頂へ。辺りはガスで乳白色の世界、先客が三名、すぐ大室山に向けて出立の様子。
私も長居は無用、避難小屋をちょいと覗いて、皆と反対の畦ヶ丸に向けて出発。しばらくは冬枯れの霧立ち込める単調な道、黙々と歩く。
やがてモロクボ沢ノ頭に近づくにつれモミジの色合い濃くなってくる。盛りは過ぎたとはいえ、なかなかなものである。
そして、きょうも一人、静かにマイペースで山路を辿れるのが、何よりである。
やがて、畦ヶ丸避難小屋到着。ここでランチタイムとする。嬉しい事に薄日が差してくる。
そして、冬枯れの畦ヶ丸山頂へ。難を云えば展望が利かない事かな。後はゆるゆると下っていく。北斜面が結構、紅葉が残っていて嬉しい。
大室山が木の間越しに見えている。西沢への下りルートも登りでがあるなぁと思いつつ下る。往きと同じく還りも沢を何度も渡りを繰り返す。
考えれば如何にも丹沢らしい行程ではある。帰り着いた駐車場の植栽されたカエデが真紅に色付いて迎えてくれた。(11/08)
ガスの中の白石(大理石)の滝 滝、源頭部 加入道山
秋晴れがZIOの背中を押す。更にツレが展望がよくて簡単ならと。
そこで、内容の乏しい頭で考えて出た答えが信州峠、ほんとは飯盛山まで行きたいところだけど百歩譲って横尾山に登ることにする。
7:30 信州峠着 もうこの辺りは紅葉の時期は去り冬枯れの趣、季節の移ろいに想いを馳せながら歩みを進める。
朝の逆光の中、瑞牆山、金峰山が良く見えている。一瞬、向こうの方がという思いを振り払い、高度を上げていく。
そして目の前にカヤトの丘が飛び込んでくる。ここから全展望満喫の稜線歩きである。やはり今日のような日にやって来るべき山だったと自己満に浸る。
まず眼前、東に瑞牆山・金峰山、南に目を転ずれば茅ヶ岳越しに富士山、更に15度目を転ずれば鳳凰三山と南アルプスの山々、特に北岳が大きく見える。
なんと笊までくっきり見えているではないか。振り返る西側には南八の勇姿がドカンと在る。その間に見えるは木曾御嶽か、中央アも頭を覗かせている。
そして北側、川上村の高原野菜畑が眼下に広がり、その脇に男山・天狗山が控える。その奥は浅間・湯の丸だろうか、更なる奥は妙高か、
360度の思いの広がる山は愉しい。そんなウキウキ気分で横尾山まで、南斜面に広がる大平牧場も如何にも魅惑的である。
山頂で、いささか早過ぎるがランチタイム、南アの甲斐駒、北岳と八ツの赤岳、権現岳を肴にしてのランチはなんとも贅沢である。
早い事もあり、我々のみ、独占欲も満たしてくれた山行でありました。下山時に何組ものハイカーとすれ違う。やはり人気の山である事を確認しました。
帰り廻目平に廻ってカラマツの紅葉を楽しみ(あわよくば大弛峠越えを狙ったが通行止め)、
「ほったらかし温泉」の湯船に浸かって富士山の夕景を愉しんで、帰路につきました。(11/01)
富士遠望、手前に茅ヶ岳 南アルプスの峰峰 南八の左肩に御嶽、中央アが見えてるのだが
瑞牆山と金峰山 南アの盟主、北岳 八ツの権現岳と赤岳
川上村の高原野菜畑 北面、女山と男山、後に浅間に続く山並 横尾山山頂
今日から旧暦の十月、「小春日和」の言い回しが使える日が来ましたと、気象予報士が盛んに言い立てている。
そを拝借しましょう、小春日和の日の陽だまりハイク、紅葉狩りにもうってづけ。さて、その文句に適当な場所は?
そこで思い起こしたのが鶴峠から三頭山へ辿る案、始め自転車を積み込んで、向山まで駆け下り、後で回収するという我ながら名案、
ところが、着いた所は松姫峠、しまった!つい、うっかり、ナビ通りに走ってしまった。さて、どうする。大菩薩にするか、三頭山にするか。
自転車案は放棄し、松姫峠~奈良倉山~三頭山へのピストンを選択、紅葉を愉しんできました。
天気予報通り空はピーカン、楢ノ木尾根の上にクッキリ富士山が見えている。紅葉した鶴寝山の後に大菩薩の峰峰が鮮やかに見える。
そこで、パチリ。まず奈良倉山に向って出発です。ススキの穂が写してと手招きしてるようです。展望所では富士山を狙っているご夫婦がいます。
軽く挨拶、三頭山目指して北東方向の緩斜面を下りていくことにします。程よく色ずいていて綺麗です。やはり陽射しが一番ですね。
赤、黄、薄緑、今日の主役はこの三色、この後も何度と無く足止めを喰らい見惚れてしまいました。
最初の林道との出会いで三頭山の全景を眺めて鶴峠に足早に下ります。そして登り返し、三頭山への道へ、予想とおりの美しく愉しい道でした。
三頭山西峰は沢山の人が食事中、ランチスペースを見つけるのも困難、東峰でランチに。
でも、周囲の皆と同じ様に、そんなにゆっくりもしていられない。奈良倉山への登り返しがあるので往きと同じくらいの時間を帰りにも見ておかなくては。
ランチを30分程で切り上げ巻き道をいく。頂上の喧騒は消え、また一人旅となる。やはり先月の印象とは格段の差である。
何度来てもいい山である。起点の松姫峠に着いた時は、ちょうど太陽が大菩薩の彼方に沈みきった頃。
富士山がほんのり赤みがかって、きょうの行程を祝福してくれているようでした。(10/27)
御正体、三ツ峠を従えた富士山、三尊佛の様 大菩薩嶺も穏やかに 三頭山全景
三頭山巻き道 奈良倉山からの富士山 松姫峠からの夕景の富士山
拠点Aより、また丹沢へ。
きょうはお日様は望むのは無理そう。そこで展望は諦め紅葉見物がてらブナ林の逍遥も悪くないと「西丹沢県民の森」から檜洞丸を目指す事に。
丹沢の林道は通行規制が多いので車で何処まで行けるかは賭けのようなもの、案の定、世附方面は夜間通行止め、玄倉川林道は全面通行止め
そんな中、中ノ沢林道に恐る恐る入ってみる。今秋の台風のせいもあるだろうけどだいぶ道が荒れている。
そして、ついに「森」の手前1㌔㍍辺りで倒木で道路を遮断、此処を起点とすることにする。
「県民の森」と銘打っているから、それなりに整備されていると思いきや、荒れ放題、入り口の石段からして倒木で進入禁止状態、
そこを越えて行くと「石棚山」方面への表示が、それに従う事に。尾根の取り付きにもう一度、その表示が出てきてお終い、後は植林帯の中のひたすらの登り
箒沢からの道と合流するまでは急坂の連続、苦しいだけの路でありました。それでもイワシャジンが咲いてたりして一息いれます。
合流地点からツツジ新道の合流地点までのマップによる石棚山稜はほんとにいい路でした。紅葉を迎えたブナ林は人の心を遊ばせてくれます。
贅沢言えば陽射しがあればこの上なかったのですが、幽玄の世界もまた良しとしなければ、罰があたります。
合流点辺りの崩壊が進んでいるようで、何年かしたら通行止めの事態もありそうで、ちょっと心配。
檜洞丸まではもう一息、あぁ、この木道は見覚えがある。ツツジを求めてツツジ新道を歩いたのは、はて何時だったか?
頂上は正にガスガス、汗だくの身は少し寒い。やはり此処はホットコーヒーで一服、そして軽くランチを。さすが丹沢、一人二人とハイカーがやって来る。
それぞれに離れたベンチでランチを取り始める。ガスがそれぞれの空間に入り込み隔てているよう。皆無口である。
長居する雰囲気ではない、早々に腰を上げ来た路を引き返す。またブナの森を十二分に味わいながら。(10/24)
紅葉シーズンを迎え、美しい映像がTV画面にながれる。まさに涎が流れる情景である。まことに羨ましい。
といって、すぐに我も同じ境遇に、ということは、なかなか・・・。
そんな折、小田原某所で野暮用発生、ならば丹沢が近いと、嬉々として行ってきました。
そして、山も。今回はオーソドックスなコース、大倉尾根~塔ノ岳~三ノ塔~三ノ塔尾根の周回コースを辿ってきました。
夜半の雨、この天気が何時まで引きずるか、晴れに傾いている事を信じて、大倉を目指す。難題は車の置き場所、臨時駐車場に潜り込ませる事でクリア。
「風の吊橋」を渡って登山開始である。道端には雨に濡れたヤマジノホトトギスが咲いている。
さすがに丹沢の表尾根、道は良く整備され迷う事もないが、階段の連続、私にはこれが結構きつい、何度か立ち止まらせられる。
その脇を皆スイスイ、若干の荷物の負荷が多いものの体力の無さを見せ付けられる。しょうがないマイペース、マイペース。
紅葉は中腹はまだまだ、尾根上に植えられたカエデ類もまだ青々している。鍋割山からの合流点辺りから木々の色つき目立ち始まる。
なれどガスの中、今一の感じである。ただ、こういう状況は鹿達は好ましいようで人馴れした素振で餌を食んでいる。
そんなこんなの内、頂上到着、が辺りは乳白色一色、しばらく佇んだ後、きょうはあまり気乗りもしないし、さっさと帰ろうかなと、下山開始。
ゆっくり霧の中の紅葉の被写体を探してウロウロしている内に上空に青空が!ここで私の気分も180度の大転換、また塔ノ岳に登り返したのでした。
太陽の陽射しを浴び、展望が開け、風除けの陽だまりを見つけ、もう気分は上々、大休止。コンロを使って熱々コーヒーは私の大休息のサインである。
振り返れば富士山が頭を出している。蛭ヶ岳は雲が張り付いている。目を転ずれば箱根の山々の裾に相模湾が輝いている。横浜のビル群も見えるぞ。
もう、朝の陰鬱な気分は何処へやら。カメラとコーヒーカップを片手にあっちにウロウロ、こっちにウロウロである。
結局、一時間半ばかり滞在したのでありました。その後、朝、日和っていた三ノ塔を目指し三ノ塔尾根を下ったのでありました。(10/16)
大倉尾根の一コマ 鹿も大好き乳白の世界 雲が切れて陽射しが
富士山が~ 蛭ヶ岳は雲の中 大山・三ノ塔方面
真鶴半島 塔ノ岳山頂 宮ヶ瀬湖・横浜
ヤマジノホトトギス   ハコネギク フジアザミ    ソバナ センブリ?     ウメバチソウ
山選びはけっこう悩ましいもの、いろいろと候補はあるものの、決め手が欲しい。
後山林道が小川谷林道同様、歩行者も通行止めという情報を目にし、これは三条の湯に泊る絶好の機会と判断、目標決定、エンジン始動!
鴨沢~雲取山三条の湯天平尾根~親川~鴨沢の周回コースを歩いて見ることにしました。
もたもたして、小袖乗越に着いたのが7時半頃、すでに10台ほどの車が停まってました。
天気は晴れ、今日一日持ちそう。早速歩き出す。ノコンギクが目に付くぐらいであまり花はない。良く踏まれた植林帯の路をせっせと進む。
が、更に私を若者が追い越していく。さすがに早い。七ツ石山で一息いれて、コンビニおにぎりをぱくつく。雲が多めながら奥多摩周囲の山々は良く見える。
雲取避難小屋が良く見えている。呼ばれているようで、お茶を一飲み、腰を上げる事にする。
石尾根は気持ちが良い。風がなく暑くも無く寒くも無く、まして青空、格別である。紅葉には少し早いけれど、だから喧騒もなく、私的には大満足である。
ピークにも人は少ない。富士山が雲の中というのは、やはり画竜点晴を欠くか、皆、あまり長居はしないようだ。
とりあえず、HCを作って展望と共に味わう。大菩薩嶺が良く見えている。飛龍まで足をのばすのは止めにしよう。
三条ダルミ方面に下り始める。やはりこちらに降りる人はほとんどいない。若者二人連れが、三条の湯に入るとの事、一緒になる。
3時前、三条の湯到着、投宿の手続きをする。なんと、今夜は私ただ一人、予想的中もいいとこである。
若者二人は丹波発の終バスに間に合うよう、早々に風呂から上がって下山した後は、温泉独り占めである。
前回訪れた時は、薄暗く、寒く、印象が悪かったのだが、今日は違う。まだ3時過ぎ、陽光がふり注ぎ、紅葉前の木々の深緑が綺麗。
滝の水音聞きながら、少し温めのお湯が気持ちよい。ちょっとヌルっとくる泉質、あれ、こんなにいい湯だっけと、再認識させてくれる。
小屋番さんと四方山話しながらの夕食は、得した気分、多摩の地酒、澤の井のカップ酒も今宵はひときは美味しい。
舞茸の天婦羅、これは天然物ですよと、小屋番さん、それでは心して食べなければねと私、いい心地である。
食事後、また一風呂である。長湯嫌いのZIOめですが、きょうは特別、小一時間、うとりうとりとしてました。
翌朝、すでに霧雨、終日雨と小屋番さん、しっかり、ご飯をお腹に入れ、番茶をボトルに積め、小屋番Iさんに、お別れの挨拶をして出発です。
下りるだけ、時間もたっぷり、森との別れを惜しみ、紅葉の素晴らしさを想像しながらサオラ峠へ。そして今回初歩きとなる天平尾根へ足を踏み入れる。
おだやかな路ですね。特に保之瀬天平が、つい森の中を彷徨い歩きたい衝動にかられてしまいました。また訪れたい。
降り口の廃屋も、もの悲しくて印象的です。こうした場所で生活していたなんて、とても信じられません。我が軟弱さが身に沁みます。
実は、最後の難所が、鴨沢から小袖乗越までの道程でした。下の鴨沢に車を停めておくべきだったのかなぁ~。(10/4.5)
大菩薩嶺 飛龍山 雲取への道
雲取山 奥秩父を望む 紅葉近いカラマツ林
ヤマトリカブト ジンジソウ 今回の主役 三条の湯
サオラ峠への道 天平尾根 集落跡に佇む、はて何?
めっきり秋めいて、サンマの美味しい季節となりました。
そして、奥多摩の山々に出かけたくなる頃合いともなりました。
ネットのHgさん情報によると、渇水で外されていた奥多摩湖の麦山の浮橋が渡れるようになったとか、すぐそそられてしまうZIOめであります。
早速、出かけて見ました。浮橋を渡ってヌカザス尾根から三頭山を目指すコースをとることにしました。
浮橋は最初の3,4歩、リズムを体感するまで違和感を感じますね。その後は愉しい、山への気持ちの高揚を更に増幅させてくれます。
イヨ山、ヌカザス山までは、植林帯の中、ひたすら高度をあげるだけ、道脇に僅かにセキヤノアキチョウジ、カシワバハグマ、タカオヒコダイ等が咲いている。
ブナを愛でる気分になるのは、入小沢ノ峰を過ぎてからであろうか。気持ちの良い路である。特に今日は陽射しが差し込み新緑の季節と見紛う位である。
ピーク(東峰)には常に2.3人居るという感じでハイカーがやってくる。その中に混じって富士山を眺める。先の方だけちょびっと雪を被っている。
三つ峠や滝子山も良く見えている。それを見ながら早めのランチ。絵になる景色を眼前にして、つい、知り合いに、画像を送ってしまう。
暫し休憩したら混みあう前に頂上を後に、ブナ林の雰囲気を味わいたく、鶴峠方面に下り、巻き路で戻ろうという考え。
予想とおりの気持ちの良い路、台風の影響で枯れ枝が路を塞いでいたものの、一箇所の崩れ以外は、さして問題なし。
レイジンソウ、オオバショウマ、ヤマトリカブト等を見ながらの路は極上でした。
ヌカザス尾根に合流した後、途中ムロクボ尾根を伝って深山橋へ、そして蜂谷橋へ辿り着いたのでありました。(09/28)
セキヤノアキチョウジ  アキノタムラソウ カシワバハグマ   オオバショウマ タカオヒコダイ        トリカブト
昨年、大山に出かけて蒜山を登り残した感が強くあり、行く機会を伺っていた。
すると、蒜山の休暇村が隠岐四島島巡りを格安で販売、これに便乗して、その目的を叶える事に。
1,000円割引がなくなった今、頼むは深夜半額割引、片道800㌔弱を蒜山PA仮眠でカバー、目出度く6日朝六時上蒜山登山口到着。
紀伊半島に豪雨をもたらした台風の去った直後、山の頂上付近には雲がかかっている。
が、予報では晴れを信じて登り始める。産地ジャージー牛の姿を横目に樹林帯に入る。道端にはキンミズヒキやツリフネソウが咲いている。
少しの間の登りを頑張れば、やがて5合目、蒜山高原が見渡せるようになる。傍らにはシラヤマギク、ツリガネニンジン、ミヤマママコナの花も見かける。
数は少ないけれどマツムシソウも、今年お初である。八合目から好展望の稜線歩きとなる。
大山が皆ヶ山越しに頭を出している。これから行く中蒜山、下蒜山も雲を頂きつつも、姿を見せてくれている。
上蒜山ピークは展望のない面白味に欠ける所、三角点を確認の為、熊笹を掻き分け掻き分け行って見る。ここも展望は宜しくない。
ならば、中蒜山へGO!やや急な下りなれど慎重に下れば問題なし。下りきるとユートピアと呼ばれる笹原が広がる。
陽射しが強く暑いけれど、それを除けば絶好の登山日和、青空が広がり雲も取れてきた。大山の裾野の向こうに日本海が見えている。
なのに、すれ違った単独行者のみの独り占めの山行なんて、贅沢すぎます。
中蒜山でちょこっと休憩して(ここは、ちょっと俗気を感じさせられ)、ランチに早いしで、更に先へ進むことに。
フングリ乢というおもしろい名の鞍部を過ぎて笹尾根を登りきると最終ピーク下蒜山です。
ここからだと山が重ならず中蒜山、上蒜山、大山と行儀良く連なって見えます。ここで心置きなくゆっくりとランチを取ることにしました。
きょうはトンボや蝶が沢山、まるで歌舞伎における獅子の周りを戯れ飛ぶ様に、愉しませてくれます。
須弥山も斯くなるばかりかという、いい心地で大山を眺めながらHCを飲んでいました。
さて、一刻遊んだら、下界に戻らなければ。急斜面ながら雲居平までは、まだ愉しい道が続きます。
こぶりなマツムシソウが咲いています。その上でアゲハ蝶がランディブー、フウロも残っていました。マルバタケブキも綺麗でした。
犬挟峠で休暇村に電話して迎えの車を出してもらい(これが便利な所、タクシー代を節約できます)、朝の登山口へ。
勿論、今日の宿泊地は休暇村ですけど。(09/06)
中秋も近し、ススキと蒜山高原 槍ヶ峰より大山を望む 中蒜山、下蒜山への縦走路
振り返れば日本海 下蒜山からの大山 蒜山三山
シラヤマギク      キキョウ ツルニンジン           ヤマジノホトトギス  アキノキリンソウ    
ワレモコウ タムラソウ ホツツジ
マルバタケブキ マツムシソウとキアゲハ
蒜山下山後の話をちょっと。
実は本筋はこっちで、隠岐四島の島巡りをしてきました。
景色もさることながら、その歴史的地理的位置にとても興味があったのですが、それは置いといて、という旅ではありました。
印象的なのは、島の突端で悠然と草を食む牛や馬と、正にシーズンを迎えているイカ釣り船の出船入船の様でしょうか。
ともかく美味しい旅ではありました。心残りは、遙か大山を望めなかったぐらいかな。(9/7.8.9)
蒜山下山後、第2弾、ひょっとしたら、こっちが本筋に本筋かも。
古代遺跡・古墳、神社巡りをしました。実は種本があって、関裕二「古代史謎めぐりの旅」をベースにして、気ままに周りました。
まずは出雲大社へ。ここが正に古代史への入り口、その挨拶をしてから宝物館、古代歴史博物館を見学。
荒神谷遺跡の出土剣に圧倒され、出雲大社天蓋の八雲に心が震える気持ちを抱いたまま、日御崎神社を訪れる。
そこから、四隅突出型古墳を有する西谷墳丘墓群を訪ねる。実物をどうしても見てみたいと熱望していたところである。
実感!嬉しかったです。博物館の学芸員が好印象でした。そして、いよいよ荒神谷遺跡へ。発見時の昂奮は伝わらないけど現場に立っている!この現実。
同時に見たかった加茂岩倉遺跡は残念ながら時間切れ、きょうはここで終了、宍道湖畔のホテルに投宿しました。
翌日、山代二子塚古墳に寄って、神魂神社へ。出雲国造家と密接な関係があるという、その国宝の社を、飽かず眺める。
その後、八雲立つ風土記の丘へ。ボランティアの案内で岡田1号墳の石棺を実見、益々古代にのめり込みそう。
そこから、熊野大社へ。今までの経緯から、かなり期待して訪れたのですが、やはり隣に温泉施設があるためか、荘厳さが、いささか欠け残念。
いよいよ旅も終盤、揖夜神社から黄泉比良坂に行ってみました。黄泉の国は足を踏み入れる勇気なく、そうそうに引き返してきました。
大トリは妻木晩田遺跡です。ジリジリとした陽射しの中、弥生の遺跡が小高い丘に広がる。
日本海が望める。遠く霞んで見えるは隠岐の島、ちょと感激です。この300年間に亘って栄えたこの集落が、忽然と姿を消した。
その時を同じうするように出雲族(国)が衰退していく。何度も何度も通いたい思いを強くして帰路に付くZIOめでありました。(9/10.11)
西谷墳丘墓群 荒神谷遺跡 妻木晩田遺跡
出雲大社芯柱 神魂神社 熊野大社
御岳山・富士峰公園のレンゲショウマの花の見頃との書き込みがあちこちに、覗いてみようかなという気になる。
寸庭に車を置いて、鉄五郎新道と言う事になるだろう。今回は寸庭川を越して直ぐ尾根状にルートをとって、突き進む。
つまり、鉄五郎新道の手前の枝尾根から入ると言う事に。地元のひとの言う6号鉄塔まで植林帯の中を這い上がる。
そこまでが、けっこう難儀、鉄塔から上は路が明瞭になり広沢山で鉄五郎新道と合流、更に路がはっきりして大塚山へと続く。
そう言えば、去年の同じ時期、下りに使ったコースは今日の北コースから北北西側に進路とったことが確認できて自分的に納得。
大塚山に着く頃には汗だく、ものすごく湿度が高い、それも人工林の中、あまり愉しめるコースではないようだ。
ここで大休止、喉を潤し、菓子パンをパクつく。既に二人、一人と先客が。花の様子はどうですかと問うと、歩けないほどのすごい人ですよ、との答え。
それもまた良しと腰を上げる。成る程、然り。しばらく、それに身を任せるように、レンゲショウマやヤマジノホトトギスの姿を追う。
が、結局、凡写真。毎度お馴染みの悔恨を胸に、この場から撤退、帰り道は、まともな丹三郎への下山道をとる。
「もえぎの湯」で一風呂浴びて、自宅でのビールを餌に、家路を急いだZIOめでありました。(08/24)
おおげさに、北アルプスが呼んでいる、とばかりにウズウズしていたのだが、五竜岳にピストンという事で、手を打つ事に。(誰と?)
夏の高気圧のいい時期を既に逸らしているから、展望は駄目だなと、はなから諦め気分。とにかく北アの地を踏める事が大事!
そう自分に言い聞かせて朝一番のテレキャビンに乗り込む。天気は晴れているもののピーク付近は雲が張り付いている。
午前曇りのち晴れの午後雨というパターンを繰り返しているらしい。
今回のもう一つ楽しみしていた「高山植物園」をゆっくり見ながら登山開始である。
目に付くのがカライトソウとオオバギボウシの群落、売りのシモツケソウは盛期を終え名残を留める程度といった所、軽くスルーして上を目指します。
だんだん山に掛かる雲の量が多くなり、周囲を乳白色の世界に変えてゆきます。
展望は予想通り利かないものの下界の猛暑から解き放たれ爽快である。そして花々が目を愉しませてくれる。
ミヤマママコナ、ミヤマココメグサ、アキノキリンソウ、ホソバノヤマハハコ、ミヤマコウゾリナ等が多く目に付く。
西遠見を過ぎ本峰への登りにかかるとウサギギク、アズマギク、ハクサンフウロ、ヨツバシオガマ、カライトソウ、シモツケソウと飽きさせない。
五竜小屋までもってくれた天気も、到着後に降り出す。2階の1部屋に4人と振り分けられ、ラッキー、快適な夜を過ごす事を約束された。
翌朝もガスガス、とりあえずピークだけ踏んでピストンする事にする。頂上で粘ってみたがガスは晴れず、大展望は次回への持ち越しとなってしまった。
花を愛でながら、ゆっくり下山する事にする。そして、とうとう最後までピークを拝む事のできなかった今回の山行でありました。(08/16.17)
頂上は雲の唐松岳 唯一、頂上らしきお姿 五竜山荘をめざして
本峰へ最後の稜線 ガスガスの五竜頂上 五竜山荘を垣間見て
ハクサンフウロ チシマギキョウ タテヤマリンドウ
ヨツバシオガマ アズマギク ミヤマキンポウゲ
ホツヅジ ベニバナイチゴ アオノツガザクラ
シモツケソウ ヤマハハコ ミツバオオレン
山に足を踏み入れても知らない事ばかり、少しは勉強しなくちゃ、と思い野草教室なるものに去年より通い始めた。
その一環として乗鞍高原へのフィールドワークに参加してみた。
天気は生憎の雨模様、景色を堪能しながらの観察会とはいかなかったが、今までのZIO流の登山とは一味違った体験をする事が出来、
これまで見向きもしなかった草にも関心が向き、これから続けるかどうかは別として、良かったかな、と思っている。
成果はともあれ、羅列して見ました。(07/28.29)
タマガワホトトギス ヤマオダマキ ミズチドリ
ヤナギラン ハクサンイチゲ クロユリ
クサボタン ツレサギソウ ヒョウタンボクの実
チダケサシ オヤマリンドウ マルバタケブキ
梅雨が明けた途端、不意打ち(ZIO的には)のような連日の猛暑。
近場は暑いし、北アへの計画も今一つ等と逡巡しているうちに出そびれ、ネットの皆さんの、お出掛け情報に尻を叩かれ出かけてきました。
以前から行きたいと思っていた越後三山・中ノ岳、十字峡を起点に丹後山~兎岳~中ノ岳の周回コースを歩いてきました。
久々のタフなコース、さて何処まで行けるか、2ヶ所の避難小屋を両睨みで、朝開けを待って四時過ぎに歩き始める。
三国川沿いの道は‘落石注意’の通り巨大な石が道を塞いでいる。その横をすり抜け登山口へ。長い行程を覚悟して足を踏み出す。
そして黙々と標高を稼ぐ事に。六時頃、中ノ岳を見える地点に到達する。まだまだ1/3、更に黙々と登ります。
樹林帯を抜けササ原となり、シシ岩が見えてきて、やっと今日の予定が立った、という状態でしょうか。時刻は八時、これなら中ノ岳まで行けそうです。
ササ原の中、ニッコウキスゲが点々と咲いている。やや、咲き残りの感がするものの、嬉しい。
オトギリソウやタテヤマリンドウの花も見かける。ハクサンフウロも露に濡れた姿が愛しい。
九時前に丹後山避難小屋に到着。ここで大休止、コンロでお茶を沸かす。やはり熱い物が元気を与えてくれる。朝食の残りとトマトを食す。おいしい!
小屋は立派、きれいに使われている模様。20分程休憩して腰を上げます。小屋にお礼を言って、まずはササ原の山、丹後山を目指します。
全行程を通してニッコウキスゲが疎になり密なりして咲いていました。艶やかに目に飛び込んできたのはクルマユリ、イブキトラノオもササ原に似合いである。
こんもりした感じの雰囲気が丹後山~大水上山~兎岳まで続きます。
正面に中ノ岳を見つつ(生憎山頂付近は雲)右手に平ヶ岳等尾瀬の山々を左手後方に巻機山、谷川連山を従えて、気分はすこぶる上々。
ところが、兎岳を下る頃、ガスが山を覆います。路も一変、岩稜帯に変わります。更に疲れが押し寄せてきます。
ここで休憩を取ることにします。ここは大雪田の上部突端、今、雪解けを待ちわびたハクサンコザクラが大いに元気を与えてくれました。
中ノ岳周辺が何時もガスがまとい付いてるはずです。太陽の光で瞬く間に水蒸気が立ち上がる訳ですから、ひとりガテンしました。
ここから標高差300㍍、一歩一歩登るだけです。辿り着いた中ノ岳頂上はガスの中、明日に期待を寄せて、避難小屋に向います。
小屋到着午後二時、日帰りは私には無理のようです。小屋に只今無人、マットを拡げ寝場所を確保、着ている物の総取替え、大の字に。疲れました。
辺りは乳白色の世界、ラジオを聴きながらゴロゴロ、うたた寝、いい心地です。
五時頃、窓の外が明るくなって出てみると青空が見えています。雲海の上に山々の峰が突き出ています。カメラを手に走り回ります。
越後駒からの縦走路から単独行者がやってきました。新潟の青年でした。その人と一言二言、その時です。ブロッケン現象が立ち現れたのです。
ZIO如来、降臨という具合でしょうか。ひとり、両手を挙げたり広げたりしながら、楽しんでおりました。(単独行者は、それを横目に、さっさと小屋へ)
結局、この日の宿泊者は二名でした。若干の四方山話をして就寝。
翌朝、四時半頃の日の出も、たっぷり観賞、荒沢岳のピラミダルなシルエットがなんとも印象的でした。
同宿者は八海山に抜けるとか、早々と旅立っていきました。
ZIOめはきょうは下りるだけ、ゆっくり食事、熱々のコーヒーを飲みながら被写体を探してウロウロ、至福の時間を過ごしてから、六時過ぎに小屋を出ました。
山頂で昨日取り残した写真を撮って、そろりそろりと下山です。途中、単独行者三名、六人編成一パーティとすれ違いました。
順調に途中まで降りてきたのですが、最後の一合目過ぎから息苦しく、ペースダウン、休み休み、やっと登山口に辿り着いたのでありました。
水も尽きてしまったので、脱水か、エネルルギー不足による血糖値低下が原因と自己判断したのですが、如何。
十字峡小屋に飛び込んで、「ざる一丁」。そこで出された水のおいしい事、やっと、胸の動悸が収まりました。(07/22,23)
シシ岩付近からの越後駒、中ノ岳の2ショット 雲海上に浮かぶ平ヶ岳に連なる尾瀬の山 中ノ岳に続く稜線
中ノ岳とニッコウキスゲ ブロッケン現象 朝焼けに浮かぶ荒沢岳
中ノ岳避難小屋と越後駒ヶ岳 荒沢岳 燧ヶ岳遠望
八海山への路 巻機山方向 中ノ岳
ハクサンコザクラ タテヤマリンドウ イワイチョウ
ここ一週間、平標山のハクサンコザクラが見頃だよというネット情報を目にする。
そんな折、某山岳会の山行が三国山、平標山・仙ノ倉山とか、臨時にお仲間にいれてもらって、願いを叶えてきました。
初日の三国山、目玉のニッコウキスゲは草原にわずかに一輪、二輪、そう言えば一昨年の満開時は7/20日、やはり早すぎたようです。
それに替わる彩りはヤマツツジ、ドウダンツツジ、ウラジロヨウラクやタニウツギが担ってました。
翌早朝、心躍らせて松手山登山口へ。問題の天気は曇り、雨が降らなければ良し、位の状況、花を目指して登り始める。
前日同様、ヤマツツジが鮮やかな朱色でエールを送ってくれる。鉄塔付近から下に目を送ると苗場PHの高層棟が雲間に浮かんで見える。
ハクサンシャクナゲが未だ花を残してくれていた。足下にはアカモノ、ツマトリソウ、ゴゼンタチバナ、マイズルソウがプレリュードを奏でる。
松手山を越し一ノ肩への道、ハクサンチドリが登場し、第一楽章の始まりである。この後、ヨツバシオガマが、オノエランが、ハクサンイチゲが姿を現す。
そして平標山に。ここから仙ノ倉山までの稜線でのハクサンコザクラの登場で第四楽章クライマックスを迎える。
そんな花のシンフォニーの中での山歩き、ガスガスの稜線で両ピークでの展望は無かったけれど、人気の花の山を実際見ることが出来て大満足でありました。
同行の機会を与えてくれた会の人達に感謝です。(07/2、3)
ハクサンイチゲ咲く仙ノ倉稜線 ハクサンコザクラとイチゲ ヨツバシオガマとイチゲ
山笠のような姿が面白いヨツバシオガマ 笹原で攻めぎあいしているコイワカガミ 三国山への登り
ハクサンチドリ ヨツバシオガマ ミヤマキンバイ
ハクサンシャクナゲ ウラジロヨウラク サラサドウダン
友来たりて、接待は山、さて何処へ?今の季節、花、すると湿原を持つ山、田代山が良いかもしれない、という事になる。
ならば、やや遠出、3時起きで出発。さてどのルート、日光経由で田代山林道が最短かな判断(これが大間違いの元)進路をとる。
この林道、二度ほど通っていて一度目は今回と同じ登山に、二度目は桧枝岐に通り抜けに使っていて、安心していたのが失敗、
通行止めでした(調べればわかるのに)。そこからドタバタ、結局、大回りして、尾瀬側猿倉登山口に辿り着いたのが3時間遅れの10時頃でした。
出はなを挫かれ、やや意気消沈、ともかく田代湿原に期待をかけて歩き出す。登山口の沢でオオバミゾホウズキが迎えてくれる。
そしてラショウモンカズラが、マイズルソウが、ゴゼンタチバナが花を付けている。足下に朱の絨毯、見上げればベニサラサドウダンがツツジの有終を飾る。
ギンリョウソウもいぶし銀の輝きを見せている。小一時間の樹林帯を抜けると小田代湿原に、待望の風景に出会う。
休憩がてら、花にアプローチ。もう一登りで、次なる光景が拡がるはずである。気が急いて、かえって息が上がってしまう。
そして田代湿原に飛び出す。おぉ~、狙いは的中!見事なワタスゲの群落が綿毛を揺らして、お出迎えである。
ちょうど、チングルマが盛りを終えワタスゲ真っ盛りという感じである。それに彩りを添えるようにイワカガミ、タテヤマリンドウ、ヒメシャクナゲが混生している。
雲間に見える山々は南・東面が開けた方向、日光連山や高原山か。雲が湧き立ち、風吹き渡り、ワタスゲの綿毛が一斉に風になびく。
その影が池糖に映ろう。極上の空間、極上の時間である。今日は帝釈山まで足を延ばす事は止めにしよう。オノエランに出会えて狂喜したり、逍遥こそ一番。
それにしても、この極上の風景に先客は単独、二人連れの三人のみ、それも時間差で、それぞれが独り占め。
その内、ちょいと雨模様、弘法大師堂に避難。お参りして一刻の雨宿りをお願い。ついでにランチタイムにする事にする。
食事を終え扉を開ければ、また陽射しが、そろそろ切り上げる潮時、大師さんにお礼をいって、ゆっくり帰りの行程についたのでありました。
勿論、立ち寄り湯は、湯の花温泉の共同浴場、熱めのいい湯でありました。(06/30)
ワタスゲ三態
オノエラン イワカガミ ギンリョウソウ
タテヤマリンドウ ゴゼンタチバナ ベニサラサドウダン
高速の1,000円割引が終了するという。
それならば遠くに、が西は雨模様、ならば東北に、と安易に青森に向けて車を走らせるZIOめでありました。
東北の山は未だ残雪深い、気軽には入山は慎むべきと思い、観光旅行もいいかなと思い旅立つ。
竜飛岬は今の私をあまり惹きつけない。むしろ十三湖の十三湊遺跡が魅惑的、浪岡ICで東北道を下り津軽平野を北上。
岩木山が歌のように秀麗な容を見せてくれている。太宰の故郷、金木を通り抜け、途中安東氏にまつわる神社(日吉神社)を見かけ立ち寄る。
安東氏と云えば前九年・後三年の役等、中央政府に不服従の戦いを挑んだ安部氏の子孫、
更にその安部氏と云えば神武天皇に抵抗した長脛彦の兄が逃げて土着したと言う(蝦夷の酋長の子孫という見下した見方よりまっとう)氏族。
そんな背景を想いながら山王鳥居を潜り神域に踏み込むと、木立で薄暗く林床はヤグルマソウの群落、今時のパワースポットのようでありました。
その中世の安東氏が栄えた港町、十三湊へ。室町中期に地震津波の大被害を受けた地とか、今回の大震災を経て来て見ると現実感がありあり。
その後、遮光器土偶で有名な亀ヶ岡遺跡を通り抜けベンセ池のニッコウキスゲの群落を見に行く。
海の側で尾瀬ののような泥湿原が広がり、黄色のニッコウキスゲのお花畑が、そして目を転ずれば岩木山が見えている、いい景色である。
海岸線沿いに次の見所、氷河期後期(8~1万年前)の埋没林の地層が露出している場所に。想像もできない事象だけど、「見た」という感覚だけ持ち帰る。
斜陽館に立ち寄ってから、きょうのメーン三内丸山遺跡へ。北の台地に広がる縄文文化の威容を見たという実感である。
翌日、奥入瀬渓流全行程を歩いてみる。やや時期的に新緑の濃さを増しツツジも終わり遅すぎた感はあるものの、四季を問わぬ流れの音が心地いい。
地味ながらオニシモツケ、ミヤマカラマツ、ズダヤクシュ、サイハイラン等が花を付けている。きょうはゆったり一日散策する事にする。
翌々日、こうした流れでゆくと、小坂銅山の町歩きは次回に譲って大湯環状列石という事になる。
何処もそうだけど此処も遺跡は現地に尋ねて見なければ、なにも始まらないと言う気がする。こういう処が縄文人お気に入りの場所なのであろう。
その後、南下しながら天台寺、東楽寺、黒石寺を訪ねてみたかったのだけど、諸般の事情で成島毘沙門堂だけにする。
5㍍近い兜跋毘沙門天の巨像には度肝を抜かれる。この巨像を生み出した巨木もまた神木であったのであろう。
坂上田村麻呂の蝦夷征伐の守護神としてと云われているが、気の優しい縄文人への威嚇の為なら、複雑な想いを禁じえない。
今度の震災で右に安置されていた阿弥陀像が罹災、頭が取れてしまった。残念。修復の予定がたたないのが現況だそうだ。
そんなこんな、ごった煮ながら東北の太古からの森の息吹を感じる旅でありました。(06/20・21・22)
ベンセ池のニッコウキスゲ(後ろに岩木山) 奥入瀬の渓流
埋没林 三内丸山遺跡
ハマヒルガオ ニガナ ヤグルマソウ
ノハナショウブ ヒトリシズカ オオダイコンソウ
突然、尾瀬ヶ原に行って見たくなった。もう10年も行ってない。
どうも、あの混雑具合を目の当たりにすると腰が引けてしまう。なので、ミズバショウの尾瀬は未経験なのである。
が、今年はチャンスかもしれない!ミズバショウと静かな尾瀬を経験できる。
そんな捻くれた動機で尾瀬行きを決行。夜中に高速に乗り富士見下登山口を目指す。
大清水まで行ってしまい時間ロス。が、登山口駐車場に5時過ぎに無事到着、群馬ナンバーの先着車が一台だけ、駐車の可否の心配も稀有でした。
万端整えて出発。だらだら林道を560㍍標高を上げながら二時間半以上歩く訳である。
でも、この季節は苦にならない。まず、見渡せば森が新緑で包み込んでくれる。
林道の両脇は野草の宝庫、ムラサキサシオ・タムシバもコラボで応援。その上、カッコーとホトトギスが主音となる森のオーケストラが滞在中、続いていた。
富士見峠は文字通り富士山の見える所、しかし今日は無理そう。でも赤城山越しの雲海上に僅かに山並みが、奥多摩、秩父であろうか。
取りあえず、アヤメ平まで足を延ばしてみる。まず皇海山が特異な姿で目に飛び込んでくる。歩む方向にはギザギザの峰、武尊山が見える。
アヤメ平で目を転ずれば至仏山と燧ヶ岳の間に平ヶ岳から越後三山と拡がる。うれしい限りである。
植生中のアヤメ平はショウジョウバカマとイワカガミが僅かに顔を見せているだけ。元に戻るに後何年要すのだろう。
愉しんだ後、長沢新道を降りることに。まだ雪が残り木道を覆い隠す。踏み抜き注意、そして滑り注意!なのに二度程尻餅、アイゼン付けるべきでした。
難儀しながら尾瀬ヶ原に降り立つと早速、ミズバショウのお出迎え、リュウキンカと相俟って、至仏山を背景に絵になっている、やはり、いいものである。
竜宮十字路でランチ。やはり人が少ない模様、まわりに10人に満たない人がいるだけ、ゆうゆう、ノンビリの食事である。
食事をして、景色を見て、写真を撮って、‘尾瀬’を満喫。次の行動予定はトガクシショウマを見に段吉新道へ東電小屋経由で行く事に。
段吉新道に入ると、やはり今の時季、個々を歩いている人の殆んどが、トガクシショウマがお目当て、情報交換して、到着。
既に2名の方がファインダーを向けていた。邪魔にならないように、そっと撮って、私の場合、長居無用、その場を離れる。
見晴十字路を経由して今日の宿「竜宮小屋」に到着、早めながらゆっくりする事にする。4時からお風呂に入れると、なんと贅沢な。
食事の後に更なるお楽しみ、夕映えを見に戸外に。期待通りではなかったものの、一時間程、暮れなずむひと時を愉しんだのでありました。
二日目は、尾瀬気分を満喫しながら山の鼻へ、植物研究見本園を散策、そして鳩待峠へ。はな豆ソフトを頬張り元気回復。
昨日と違って今日は沢山の人々とすれ違い、普段の尾瀬がやって来たようで、反面ホッとした気分になるから不思議である。
さて、一服したらアヤメ平に登り返し、始め樹林帯だが、中の原辺りから気持ちよい草原の稜線歩き、尾瀬ヶ原と比べ格段の静けさである。
1939p辺りでまったりランチ、今回の最高峰中原山を通過しアヤメ平に到着。ガスが吹き上がって来そうなので早々退散、富士見峠へ。
そして、長い林道歩きで駐車場へ、私の車だけ取り残されたように有りました。青年一人とすれ違っただけでした。
帰路の途中、尾瀬戸倉温泉「ぶらり館」に、とろりとしたいい温泉でした。(06/15.16)
富士見峠から赤城越しに南関東の山々 富士見田代からの燧ヶ岳 皇海山
左に至仏山、奥に越後三山に繋がる山々・景鶴山の奥に平ヶ岳・燧ヶ岳、その左奥に会津朝日(アヤメ平)
リュウキンカと至仏山 燧ヶ岳と白樺 尾瀬といえば水芭蕉
トガクシショウマ リュウキンカ 大タチツボスミレ
ムラサキヤシオ ヒメシャクナゲ ニリンソウ
ミツガシワ イワナシ サンカヨウ
エンレイソウ シラネアオイ ツバメオモト
関東では、もう梅雨入りしたのだろうか。沖縄では梅雨明けとか聞いているから、既にしているのだろう。
その間隙をついて山で遊ぶ事に。それに今の時季が一番昼の時間が長くて行動時間を多く取れる時。
それなら前から計画していた仙元尾根を歩いてみよう。
ただこの辺り、車を置く場所がネック、そこで秩父側からの鳥首峠への林道入り口がちょうど手頃、そこを出発点とする。時刻は6時45分
林道を詰めて行くと次第に草深くなってくる。ノリウツギが白い花を付けている。その脇を通り抜け植林帯へ、後はひたすら鳥首峠を目指す。
林床にはフタリシズカやヒメレンゲがひっそり花を付けている。
きょうはガスの中、鳥首峠はひっそりしていた。もうツツジの季節も終えたのだろう。先行の単行者は健脚らしく一度も姿を捉えることがなかった。
これからが蕎麦粒山まで先は長い。ヤマツツジが僅かに彩り付け、和ませてくれる。
滝ノ入頭は見通しが益々良くなった。長沢背稜が雲湧き立つ中、灰色の姿を横たえる。これから下る仙元尾根も見えている。
一昨年来た時より更に伐採作業が進んだようだ。足下に新たな林道が伸びてきている。前回はタタラノ頭まで、今回はその先へ。
仁田山への道標が出来ていて笹が綺麗に払われている。途中、マムシと遭遇、「砂漠は生きている」のガラガラヘビのように尻尾を立てて威嚇してくる。
寸の間観察してから先を急ぐ。有馬峠で林道を横切る。車が2台、へェ~、ここまで登ってくるんだ。
やや、うんざりするスズタケの密生地帯を抜けて縦走路へ、後は蕎麦粒山へ一登りである。柱谷ノ峰辺りのたおやかさはいい感じである。
蕎麦粒山には先客が一人と二人、ランチ中、私も習うようにランチとする。穏やかだけど展望は利かない。シロヤシオも終わっていた。
30分程で腰を上げる事に、本筋の仙元峠へ向う。益々ガスが濃くなる。正に静寂の尾根下りとなりました。
大日堂に到着したのが3時過ぎ、お礼を言って、車回収へ。遅かったら宿を取ろうかとも意図していたが、ゆっくり、帰る事にしよう。(06/10)
静寂の鳥首峠 ヤマツツジと長沢背稜 新緑に彩り添えるヤマツツジ
有馬峠へ 柱谷ノ峰付近 仙元尾根
ヒメレンゲ フタリシズカ 仙元峠
それなりに行事があって、二週間程、間が開いてしまった。もう奥多摩ではツツジも終りだろう。
でも、花はともかく、緑色の命のシャワーを浴びたくなった。
八丁橋付近に車を置いて、オロセ尾根を登り、篶坂ノ丸を経由して、材木小屋尾根を下り、上段歩道で戻る周回コースを取ってみる。
橋の先で林道補修をしている。やはり地震で傷んだのだろうか。ゲートを潜って孫惣谷林道へ。オロセ尾根取り付きの階段が新しくなっている。
1123mポイントまでは、ともかくひたすら登る事にする。そこから作業道から別れて尾根を直登するのだが、きょうは、そのまま道なりに進む。
きょうは、森をさ迷う日と決めているから。タワ尾根のタワの由縁を味わうという作戦だから。
なだらかな部分に出た辺りで、道を少し外しつつ、上を目指す。まもなく金袋山からの登山道とぶつかる。とりあえず篶坂ノ丸まで行く。
前回、四間小屋尾根を下っているので、今回はこのまま材木小屋尾根下ってみる。まもなく、ゆるやかな曲線の織り成す窪地に。
ほんとうに緑が綺麗である。時間の許す限り逍遥したい気分になる。ただこの緩やかな曲線は、あらぬ方向に引き込む誘いも仕掛けてくる。
下りは沢山の派生尾根が待ち受けている。こんな季節の、晴れて穏やかで、時間に十二分に余裕を持たせる事で、遊びに変える事が出来る。
そして、上段歩道に辿り着く。後は横移動のみ、らくちんと思いきや、工事用のモノレールと出く会わす。
これが下の道路まで延々と続き、その歩きにくい事、せっかくの逍遥気分も吹き飛んでしまった。
そして、日原鍾乳洞まで来てびっくり!通行止めでひっそり(小川谷林道は使えないと知っていたが、これほどとは!)。誰にも会わない訳である。
燕岩からの落石痕がアスファルトに生々しく付いている。この状況では、とうぶん解除は無理であろう。
静かな森になるは、嬉しいのだけれども・・・。(06/04)
朝日に八丁山が美しい 新しくなった取り付き口 気持ちいいオロセ尾根
静かな篶坂ノ丸 名残のミツバツツジ 材木小屋尾根窪地で見上げる
キランソウ ヤマクワガタ ミヤマハコベ?
今年はアカヤシオを未だ見ていない。見に出かけていないと言うのが正確かもしれない。
そんな折、ネット情報で熊倉山の宗屋敷尾根がアカヤシオが見頃とか。
そう言えば、2009年11月、熊倉山から酉谷山を目指し、陽の暮れるのが早い秋の日、往復は無理と判断、宗屋敷尾根の方に下ったのだが、
うまくルート取りできず、今木沢の堰堤に降り立ち、川浦渓谷沿いの林道を延々歩くはめになった事を思い出す。
ならば、そのリベンジを兼ねて、熊倉山から酉谷山へ行って見ることにする。
念の為、酉谷避難小屋への宿泊を考えて寝袋、ツェルト等も詰め込む。結構な負荷で、これが後半バテバテになった原因かもしれない。
ともかく、城山と熊倉山の鞍部に車を停めて、さあ出発!
単調な植林帯を黙々登って熊倉山に、これからが本番である。
これまで、所々にミツバツツジを見かけたものの、ヤシオは全然、もう終わってしまったかもしれないなぁと思いつつ歩を進める。
岩稜帯になると、あの鮮烈なピンク色が飛び込んでくる。最初は落下した花弁が、がしだいに散際のぼってりした花弁をつけた木々が岩に張り付いている。
凄い!西上州ではよく見かけるけど、奥多摩周辺では、両神山以外知らないので、もう大喜びである。(花情報を頂いたKさん、感謝です。)
ひとしきり写真をとって、きょうは先に進むことにする。
道は思った以上にはっきりしていて、なだらかな尾根上で、枝尾根に誘われないように気をつければ問題はないようだ。
コースタイムを少々オーバーした位で酉谷山山頂に到着。まずは良し。ちょっと疲れたのでランチを取りながら様子をみて、帰るか泊るか判断することにする。
木々の芽吹きば直下まではやって来ているのだが、山頂は未だのようである。でも無風、少し霞がかった山並みを眺めながらのランチは格別である。
一時間程休憩、先客がいるかもしれない狭い小屋泊まりより、未だ1時、時間はあるし、来た道、安心感もあり、帰る事にする。
疲れが足に来ているので、躓かないように、慎重に歩を進める。陽射しが残る5時過ぎに、出発点に到着したのでありました。(05/18)
和名倉山見ながら 新緑に染まりそうなミツバツツジ 新緑はただただ心に沁みる
アカヤシオ
芽吹き前の酉谷山山頂 芽吹きの大血川峠付近 バイカオウレン
今回は拠点A、そこから手軽となると、鍋割山という事になるのだろう。
「寄」に車を置いて、茶畑の中を「佐土原」方面に歩き出す。「夏も近づく八十八夜」も過ぎ、茶摘の頃、お茶が輝いている。
なのに、「足柄茶」がセシウムの基準値を上回ったとか、「山北茶」は該当しないようだが、同じ様に感じられるだろう。悲しい事である。
茶畑と分かれて林道を進んでゆく。この後、登山道を見失ってしまう。
平行移動してるだけでは辿り着けないので、緩やかな尾根のさしかかる屈曲部で取り付き上へ上へと辿る。程なく登山道と合流、一安心。
植林帯を登り切り草原状の檪山に出て一息入れる。栗ノ木洞から100㍍近く一気に下降して、いよいよ鍋割の登りに掛かる。
ミツバツツジ咲き始めている。咲く寸前の蕾を付けたものが、やや多いといった所であろうか。新緑に良く映える。光あり、薫風ありで、最高である。
タチツボであろうか、路傍にスミレが、黄色はミツバツチグリであろうか、道中にアクセントを付けてくれている。
頂上付近、大きなヤマザクラが花を一杯付けていた。そして頂上、富士山が春霞の中、ぼんやり浮いている。
しだいに数を増す登山者、やはり定番、鍋焼きうどんを頼んでいる。我もと思うのだが、せっかくコンロを担いでいるので、今日は遠慮することにする。
夜に予定が入っているので、長居はできない。戻ることに。
まだ11時、下からどんどん登ってくる。広い頂上を埋め尽くしてしまいそう。改めて人気の山と実感。
迷ったルートを確かめたくて同じコースを戻る事にする。檪山にも大パーティーが陣取っていてランチタイムを楽しんでいた。
鉄塔で一息入れて林道手前の鹿除けゲートの前に辿り着く。下に枯れ葉が堆積していて扉が開かない。上から押し広げるようにして跨いで通過。
往きに確かに横目で見て、今使用していない作業道のような認識で通過していた。表示もなかったような気がする。
気が付かなくて当たり前かな、と一人合点。二俣からの合流地点からの人の多さを思うと、誰にも会わないこの偏りに唖然としてしまう。
最後に土佐原集落を迂回して帰る。葉桜となったシダレザクラを見て、これは見事、是非、来年は開花時に来て見たいものだと誓うZIOでありました。
(05/14)
春霞に浮かぶ富士山 お約束の鍋焼きを食べるハイカー ミツバツツジ
ツボスミレ フジとツツジのコラボ 山北茶
相模・大井松田を拠点Aとすると、越後・長岡は拠点Yになるのか、そのY拠点に出かける。
その裏山とも云える桑代山に登ってみた。標高578㍍程の低山、それに道が頂上まで付いている住民憩いの山、歩けるだけで良しとして出発。
ほんとに裏山感覚で、栃堀のお寺(妙楽院)の脇の道を上へ上へと歩いていく。
それだけで春の道行きは愉しい。スミレがそこここに咲いている。山の際まで作られた水田は水が張られ農作業を待つばかりである。
そんな光景を横目に杉林と入っていく。以前は歩かれていたようなのだが、今は地元の人でもあまり利用していないようで、標識も倒れ枯葉に埋もれている。
そんな暗め斜面にカタクリがポツポツと見え始める。こらは意外といいかもと歩を進めると、東向き斜面にカタクリの群落が次々と姿を現したのです。
最早、ZIOめは狂喜乱舞です。人に踏まれていない証拠に登山道と思しき辺りが一面カタクリの花で覆われているのだから。
人影がない分、動物達の棲家、イノシシの痕跡はそこかしこ。この辺りは里の柿ノ木まで熊の出没する所、五鈷鐘を鳴らし注意しつつ、進む。
すごいすごいとファインダーを覗きシャッターをきるのだが、その後に沸き起こる「こんなんじゃない」??感。それと戦いつつ更に先に。
次に300㍍から350㍍の急登で感激させてくれたのがイワカガミの群落、急斜面の雪の重みに耐えた根曲がり潅木の下にびっしりと張り付いていました。
そして、400㍍辺りからの本峰への取り付き路ではオオバキスミレが道を塞ぐ。
頂上直下の急登をトラロープに助けられながら、喘ぎながら登る。そして東屋の立つ頂上は雪を頂く守門岳の絶好の展望台。
タムシバ越しに守門や越後三山を望み、苅谷田川沿いに広がる人々の営みを俯瞰する気分は、なんともいい気持ちでした。
予想外の愉しさを与えてくれた山に感謝しつつ、東屋で美味しいランチ、きょうはここまで林道を道なり、菅畑へ降りていきました。
林道はまだ多く雪が残り、カタクリの花に出会えるものの単調、栃堀からの面白さは抜群です。(05/06)
里の春味わいつつ登山口へ キクザキイチゲ アズマイチゲ
カタクリ ユキワリイチゲ
イワカガミ ユキツバキ咲く路、桑代山を見る
ナガハシスミレ キバナイカリソウ 中越地震によるがけ崩れ(?)里を見下ろす
スミレサイシン オオバキスミレ
守門岳(大岳)を望む 山頂より苅谷田川を俯瞰 山頂
以前から惹かれていた奈良・法隆寺の聖霊会、今年は10年に一度の聖徳太子1390年御聖諱法要が4月22日に行われるという奈良からの情報、
これは行かずばなるまいと、「どうでしょう」仕様で西船橋から往復奈良交通夜行バスでチャレンジ!
東日本大震災の影響なのであろう、乗客は私の他にもう一人だけ。上野、横浜で拾っても10名以下、乗務員に聞くとずっと空バスを運行していたとか
複雑な想いで乗車していました。いくら空き空きでも乗り心地が良くなる訳でもなく、輾転反側して夜明けを待ちました。
名阪国道を通って伊賀越えで大和へ。少し夜が明けたようなのでカーテンをずらして外を覗くと山桜が咲いている。
古代への道へどうぞ、と迎えてくれているようで嬉しくなる。妄想逞しく、壬申の乱の当事者に飛躍してしまいそう。
天理駅で下車して、さて何処へ。今回の旅の第一日目はやはり山の辺の道を歩いて見ようと思う。
天理教本部を経由して石上神宮へ。物部氏抜きには古代は語れないのであり、やっと来る事が出来たという感じである。
摂社の出雲健雄神社にもお参りして、出雲族への想いも馳せる。藪歩きの癖は抜けないようで、ここでもちょっと徘徊、
石上神宮の里近くは里人の墓地なっていて、墓碑の頭に「物部連、○△□」と今も刻まれている事に少々驚く。
その後山越えに失敗、山の辺の道に戻って幾つもの古墳巡り。
印象深いのは長岳寺と崇神天皇稜だろうか、衾田稜も景行稜も黒塚古墳も珠城山古墳も良かったけど、
さすがに疲れてしまい、ここで終了、まきむく駅向いました。
二日目は、いろいろ都合があって近鉄橿原神宮前からスタート、やはり考古博物館を見なくてはと見学、そして待望の登山、そばの畝傍山に登る。
地元の人の散歩コースになってるらしく多くの人と行きかう。大和盆地を見下ろしながら、耳成山、香具山にも行かねばと思ってしまう。
神武天皇稜前に降り立って、さて?今井町へと歩き出す。今井宗久ゆかりの街並みは、やはり一味違う。
それから近鉄で桜井駅へ。初瀬川の仏教伝来の地をスタート地点に三輪山を目指す事にする。
海石榴市観音堂~金屋の石仏~大神神社と歩いて三輪山登山口、狭井神社に辿り着いた時には、既に時間切れ、午後2時を過ぎていたのでした。
残念!また宿題を残し、桧原神社まで足を延ばし、今回の山の辺の道行をお終いにしました。
三日目、法隆寺へ。聖徳太子1390年御聖諱法要は舞楽法要、講堂と金堂、五重塔の間に舞台が設けられ、その一席に身を置く。
ゆったりと時間が流れ行く。しかし、天気予報は雨模様。案の定、「迦稜頻」の舞の頃、本降りに、残念、「蘇莫者」は演舞中止に。
法要は早々に切り上げられてしまった。でも、よき哉、よき哉。
となりで、散華を入手できた、彼の人は、大いに満足しておりました。(04/20~23)
石上神宮 今の物部氏の墓 竹之内環濠集落
長岳寺山門 崇神稜 三輪山を望む
畝傍山 今井町 大神神社
幡に飾られた五重塔 迦稜頻 信貴山
大井松田に拠点(?)が出来た事も有り、春の里山風景を味わうべく曽我丘陵を歩いてみた。
自主神社である白山神社にお参りして上に続く果樹園農道を登ってゆく。
少し暗めの道で、まず目に飛び込んできたのがシャガ、ついでムラサキケマンとスミレが、この二種、道中のいたるところで顔を見せてくれた。
更に道を進むと白い花が一面、桜とも違う梅とも違う、作業していた老夫婦が教えてくれる、スモモだと。
ちょうど山桜が咲く頃、咲くのだとか、剪定と授粉にせいを出しておられた。
暫し世間話を、手を止めているのも申し訳ないと、切り上げるが、とても心地よい時間を過ごさせてもらった。
果樹園は野草の楽園、タンポポあり、カラスノエンドウあり、オオイヌノフグリあり、カキドウシあり、ヒメオドリコソウあり、ホトケノザあり、と愉しませてくれる。
途中、農道をそれて道跡を辿る。果樹園を直登すると上の段の農道に出る。尾根上に出たらしい。183㍍の三角点を確認してまた歩き出す。
縦横に道が派生していて油断できない。NHKFMの電波塔の辺りが浅間山らしい。面白味がないのでスルーする。
やや暗めの道ながらスミレやムラサキケマン等が次々たち現れ飽きることは無い。
今日の最高位点、不動山(327㍍)を通過、そろそろ帰路を探さねば。そんな気持ちが果樹園に迷い込ませ、30分程の時間のロス。
無理せず戻って、農道を素直に下る事に。曽我祐信の宝匡印塔の脇を通って曽我神社に到着、春うららの愉しい里山歩きでした。(04/11)
ムラサキケマン ハルジオン ホトケノザ
ユリワサビ シャガ
満開のスモモ畑 桜咲く里 沼代・桜の馬場の桜
週末、長岡に行ったついでに、郊外の越後丘陵公園に立ち寄る。
ユキワリソウが見頃とか、歩いて見る。
遊歩道脇に点々と咲いており、様々な彩りを競っている。
今年は雪が多かった為、遅れ気味だとか。確かに斜面には雪が多く残り、通行止めも多く、通して尾根を歩く事ができない。
ここまで来て無謀さを発揮できないので、自重するZIOではありましたが、やや心残りの散策ではありました。(04/10)
津久井城山の「かたくりの里」のかたくりが見頃だと云う。
以前から訪ねてみたいと思いつつ、人込みに躊躇していたのだが、
こんな時期、人も少なそうだし、電車で行くのも悪くない、と二週続けて武蔵野線に乗る事にする。
西国分寺、八王子と乗換え、橋本駅に8時過ぎに到着、ちょうど北口BSには「三ケ木」行きが発車寸前、あわてて飛び乗る。
バスを降り川尻八幡宮のスダシイの巨木を見つつ左折、目指す「かたくりの里」へ。
9時前なのに、もうかなりの人で賑っている。花もちょうど見頃のようだ。すぐさま「カタクリ」が「ユキワリソウ」の花が飛び込んでくる。
とても嬉しくもあり、余りにも簡単に目にする事が出来て、申し訳ないような、変な気分でもあるが、気持ちを切り替えて花を愉しむ事にする。
様々な色合いの「ユキワリソウ」をこうもじっくり見るチャンスはめったにない。皆に習って、ファインダーをその麗花に集中させる。
次々の花の競演に早くもバテバテ、切り上げる時期を考え出す始末、根性無しである。
キバナカタクリも見れたしと、一区切りを付けて、城山湖・草土山への途をとる。
その途中、散歩のご夫婦とすれ違う。「きょうは50㍍毎にすれ違うわ。やっと皆、そんな気持ちになったのね」と。
「そうですね。よかったですね」と返す自分の声も少し弾んでいた。道脇にはスミレが沢山咲いていて、更に嬉しくさせてくれる。
金毘羅神社にお参りして、航空神社も足を延ばし、城山湖の堰堤を進む。
堰堤では何組かシートを広げランチ中、頃合いかなと、少し先に進んで高台の日当たりの良い場所でランチタイム。
その後は、スミレにキョロキョロしながら西山峠まで、なかなか同定し難く消化不良気味に、自身の不明に嘆くばかりである。
今回の第二の目的でもあるニリンソウの群落の咲き具合を見ながら沢筋を下っていく。
残念ながら、ちょっと早かった模様を確認して今日の山行は終了、圏央道の工事現場を横目に、高尾山口を目指したのでした。(04/02)
アズマイチゲとカタクリ セツブンソウ(きいろ)とカタクリ フクジュソウ
ユキワリソウ三態
シュウジョウバカマ オキナグサ 日向ミズキ
シハイスミレ シコクスミレ? アオイスミレ
ダンコウバイ アカバナミツマタ ヤマルリソウ
世の中の雰囲気が一変した震災から2週間程経ち日常を取り戻す動きが、そちこちで。
その動きに合わせるようにZIOも山に足を運んで見る気になりました。
今回のテーマは3つ、一つは車を使わない事、一つは灯油コンロを試して見る事、もう一つはハナネコノメへのご挨拶。
当地千葉は山へのアプローチがなかなか大変、そんな訳で車が多かったのだが、今日は武蔵野線を利用して、さて何処に?
高尾山の日陰沢にハナネコノメ会いに行くも一興かと思いつき、一番電車に乗ったのであります。
自宅から日陰BSまで3時間弱で到着、これは今後もこの手で行けそうだと内心、得した気分になる。
ただ、日陰沢を遡上するもネットで紹介されてる通りロープが張られ、花の気配もあまり感じられない。ひたすら小仏城山を目指す事になる。
城山で一服、富士山は既に姿を雲に隠していたが丹沢の山々が気持ちを和ませてくれる。そして景信山へ。
いい道なのだが、この頃流行りのトレイルラン、どんどんすり抜けていく。そしてハイカーも何故か足早。更にそれに競おうとしている自分がいる。
どうもせわしない道になっている。承知でやってきた高尾であったが、やはり馴染め無そうである。
なので、景信山もスルー、堂所山へ。やっと静かなピークに辿り着け、ここでランチとする事にする。
ここで灯油コンロのお出ましとなる。もう使わなくなって20年は経とうか、ガスボンベ使い始めたら、便利、軽い、早いとなり、見捨てられてしまっていた。
ところが今度の震災での物不足、ガスボンベ等も一番に消えうせてしまう始末。ならば老兵にさい登場願って、有用性を確認しようと言う訳である。
余熱をじっくりやれば、着火成功、少々油の漏れが気になるが、まあまあ使える。重くても持ってきた甲斐がありました。
きょうのコーヒーは格別、味わい深いものでした。
残るはハナネコノメ、小下沢林道を探しながら下っていきます。
所々、川に降り立ってはその可憐な姿を撮影、思いはマックス、なれど技術が付いてゆきません。生身の眼に映しこんだと自己弁護。
ともかく、きょうの課題をクリアできたことで、満足の一日ではありました。
余談ながら帰り際に八王子の友にメール、一寸のお茶の積りが、押しかけての飲み会に。1升ビンを空けてのお泊りに。
いやはや、翌日も高尾山を歩いている自分がいました。友よスマン!(03/26.27)
小仏城山の梅 景信山のミツマタ 堂所山での灯油コンロ、ポンピング
ハナネコノメ三態
ヨゴレネコノメ オオイヌノフグリ ユリワサビ
やっと、パソコンの前に向かう気になった。
今回の天災に、大いなる無力感に苛まれてしまった。
でも、それはひ弱な事、当事者でもないのに、自身の内で演じてるだけ、日常を回復することにする。
なんと、あの折、関東に居なかったのです。広島・竹原の大久野島の休暇村を起点に瀬戸内を周遊していたのです。
メーンは大三島の大山祇神社、その5日程前に香取神宮の海獣葡萄鏡を見ていたので、こちらの禽獣葡萄鏡もと。
瀬戸内海は古代よりの海上の途、白村江の戦いから源平の戦い、海賊が跋扈する中世、村上水軍、日本帝国海軍等、
あまた歴史ある地、そのとば口を堪能してきました。(03/06~12)
多賀大社 因島水軍城 大山祇神社
兎の島 大久野島 砲台の島 大久野島 同じく朝日
音戸の瀬戸 竹原・竹鶴酒造 多田羅大橋
能島 御手洗の街並み 尾道・浄土寺
今回も続けて戸倉周辺に。
「万六尾根」に続くは、「吊尾根」にとなるは流れというもの、自然、笹平に向いました。
ただ、スタート時に、直ぐに小坂志川を渡ってしまい、臼杵神社参道とある。吊尾根方向とは90度違う。
が、路跡があり、面白そう。駄目なら戻る時間は十分にあるので、進むことにする。
最初のとっかかりの滝の付近だけ解かり辛いけど、そこを過ぎれば、辿ってゆける。結構な急登である。
やがて、尾根筋に出て木の間越しに展望が利き出すと、まもなく戸倉三山縦走路に合流する。臼杵神社はすぐである。
一昨年通過した時は元郷から、この神社の狛犬(オオカミ)をデジカメに納めた事を思い出す。
今回もお約束、ご挨拶してパチリ、そしてもう一つのお約束、富士山をパチリ。臼杵山にも寄って市道山を目指す。
出鼻を挫かれた感はぬぐえず、大回りの吊尾根を次回に回し、夜に予定があることを理由に、ヨメトリ坂をスタコラ下りてしまう。
まだ昼飯前、登ってくる5グループ位とすれ違う。11時前には小坂志川の河原に到着。
今日は悠々のランチタイムである。風なく光差し込む川原でコンロを使ってのカレーヌードルと甘々コーヒー、一人贅沢に浸る。
合間にカメラ片手にコチャルメソウやハナネコノメを探索、残念!巡り会えず。これだけが心残りの半日山行でありました。(03/05)
臼杵神社参道への吊橋 お約束の富士山 奥多摩に多いオオカミの侍り獣
光る東京湾 コチャルメソウ 周辺の伐採が進む市道山
何時ものようにネットチェックをしていると、その常連さん二方ともアプローチは違えども、万六尾根に行った記事。
以前より気になりつつも、車を何処に置くかで迷い、そのままだったルート、この機会に行ってみる事にする。
第一の計画の「払沢の滝」Pからバスに乗る案でスタート、その前に昨年11月工事で使えなかった上川乗登山口の駐車スペースを覗いて見る。
すると工事終了、駐車可の状態。予定変更、ここを起点に周回する事にする。
夜明けを待ってスタート、雪はほとんど無くなっている。朝日を感じながら浅間峠に立つ。ここから、まずは熊倉山・生藤山目指して南東進。
嬉しい事に空澄みわたり、木の間越しにの富士山が好ましい。路は凍てついていて急坂だとやや歩きづらいけど、快適である。
おだやかな「光の春」を感じさせる陽射し、冬枯れの尾根路は山々を見渡せ、ほんとに気持ちよい。
熊倉山で木立が取り払われ、絵に描いたような富士山とそれに続く山並みを見渡す。今日は本当に笹尾根ための日と思えるほど。
そして静かである。平日の早朝だからかも。桜を求めて高尾まで歩いた2003年以来の再訪となった。
あの賑やかな花の季節もいいけど、今日のような陽だまりハイクもベスト・シーズンかもしれない。
生籐山、茅丸とこなし、連行峰から、いよいよ万六尾根に入る。
ネットの皆が、よく好んで歩かれている路、ワクワク感が先行する。
下りてすぐの北側斜面に雪、その残雪とそれを溶かして春を待つ木立の描く造形を、2月の光が浮き立たせる。
もう、有頂天である。植林と自然林が重なる笹の覆う尾根、気持ちのよい路である。
湯葉の頭 927m」をうっかり、見過ごし通過、「万六の頭」は確認通過、大ヒノキに触れて、柏木野BSに辿り着いたのでありました。
バスの時刻表を見るも12時台は無し、ここから川上乗登山口まで車道歩きが残ってました。
次回の登り口を探しながらの歩きも愉しいもの、すると道脇の土手に福寿草を発見、思わぬご褒美にご満悦です。
結構、寒かった事もあって、休憩、食事無し、辿り着いた出発点の車の脇で、遅めのランチとなりました。(02/22)
朝日差し込む縦走路 熊倉山 生藤山
軍刀利山からの展望 権現山、小金沢連嶺の奥に南アルプスも
光の春 万六尾根 大ヒノキ
福寿草三態
南関東で梅見で浮かれていても、雪国では春はまだまだ、新潟・長岡では主要道路は、よく除雪されているものの、路地に入れば背丈以上の雪、
子供は2階から雪滑りが出来るとと喜んでいましたが、役立たずと解かっていても、お手伝いしたい気持ちに、駆られてしまいます。
そんなZIOめ、今週関東でも降った雪の様子はと、天子山塊のはずれ、竜ヶ岳に出かけました。
そう、元旦のダイヤモンド富士で、つとに有名な、その山が、どんな山なのか、気になっていて、出かけてみる事にしたのです。
本栖湖キャンプ場から入山、雪はほとんどないものの、凍りついて、アイゼンを付けたほうが無難と判断、登山口で装着。
路はよく整備されていて、正に付けられた登山道といった感じ。高度をあげ本栖湖が見え出すと、その奥に雪を頂いた南アルプスが飛び込んでくる。
まもなく石仏ある展望台に。ここからは、ずっと笹原の中を頂上を目指す事になる。ダイヤ富士狙いのカメラマンの混雑状況を想像しながら歩を進める。
その、当の富士山、ちょっとご機嫌斜め、雲を被ったまま。そして頂上へ。思った以上に広々として、成る程、これならテントも張れると納得。
そしてZIOを何より喜ばせてくれたのは、雨ヶ岳の右肩から白一直線に拡がっている南アルプスの峰々である。
先月、タカデッキで見た姿を再現できるとは、と一人感激である。ただ、その頂上、休憩には風が強く冷たい。遮るものも無し、10分程で下山へ。
端足峠を目指す。端足峠では足跡は皆、根原側に。雨ヶ岳からのが一つ、本栖湖側無しといった状況でした。
当初ZIO的には、雨ヶ岳から先月、登り残したタカデッキまで行くつもりが、湖岸道路の閉鎖や雪道で時間ロスを考え断念、それは正解のようでした。
北斜面は結構雪が残り、端足峠から本栖湖への路でさえ、2ヵ所程、雪崩れた雪が登山道を乗越え、それを通過するのに、ちょいと緊張したのだから。
というか、一見、簡単で物足りない周回コースと思いきや、この季節ならではの、変化のあるコースとなり、大いに愉しんで参りました。(02/19)
竜ヶ岳への路 本栖湖越しの赤石山脈 きょうの富士山
摩滅した石仏、今はお堂の中で 竜ヶ岳からの南アの峰々 登山道を塞ぐ雪塊
立春の声を待ちかねてたような関東南部のお天気、梅の香の便りもチラホラ。
そこで、季節の先取りは湘南辺りが「いいカモ」、それに山をくっ付けてと、湯河原梅林、幕山へ行く事に決定!
ただ、それだけでは芸がなさ過ぎる。そこで城山~幕山を周回して見る事にする。
まず起点は椿台P。そこで、「頼朝」が身を隠したと言う「しとどの窟」を見に行く。
今年は、わたし的には「頼朝」「中世」がマイブーム。正月から伊東市の音無神社や伊豆山権現社も訪れ、きょうは此処なのだから。
更に此処は関東修験道の発祥の地とか、日本的民俗仏教の変化をよく示す「修験道」「山伏」「優婆塞」「聖」も、今そそられている処、呼ばれたかな。
幾重もの時代を重ねた石仏見て、さて幕山公園への道(頼朝開運の道と名付けられた)へ、が、閉鎖の表示、さて困った。
無視しようと思ったが、連れが躊躇、そこで長々と林道を周回。取りあえず土肥城址を見学したあと、白銀林道を北進、右に下る痕跡を探しつつ歩く。
30分程で分岐発見、あまり利用されて無いらしく解かりづらい。下って行くと林道に遭遇、さっきの白銀林道に接続しているのかもしれない。
この林道を下って行くと、最初、下山路にしようとしていた「開運の道」への入路に到着。30分の行程を1時間半位かけた事になるようだ。
さて、これからが本筋、幕山へ登りとなる。登山口の高木にトンビだろうか、幾羽も留まっている。
路の両脇はヤダケだろうか、高い竹の垣根に両脇を囲まれて進む感じで、気持ちが良い。梅林側とは、亦違った趣で面白い。
桜の木のある頂上は、やはり花咲く頃、人気なのだろうな。ススキの時期も捨てがたい、難点は人の多さなのだろう。
ここで、お約束ランチタイム。自分達を含めて10人弱の人が思い思いに、同じくランチタイム。
幕山公園への下りは、あっと言う間。梅の開花具合は全体の2割程度か、やはり紅梅が目を引く。
今日はこれからが本番、椿台まで上り返さなければならない。戻る路は嫌だし、「開運の路」も駄目、破線の662峰への路を辿る事にする。
バス停より少し行った脇道に入る。その道を進むと、直ぐ私有地に付き立ち入り禁止のゲートがあらわれる。
今回は無視させてもらって、荒れた林道を先に進む。662峰からの派生尾根の一番なだらかそうな尾根に林道から取り付く事に。
踏み跡は獣道と見間違うばかりの僅かなもの。尾根の中心を外さず上へ上へと目指す。
取り付き始めは急で上に行くに従い、ややなだらかになる。大きな山桜のある地点からやや方向を変えると、そこが三等三角点のあるピークである。
ピークから城山方向を目指さず椿台Pを目指したのは失敗だったかもしれない。林道への下り口が特定できず、暫しウロウロ。
最後は強引に茨の道を押し分けて、急斜面を林道に飛び降りたのでありました。やっと一息、日暮れ前の四時過ぎに今日の山行が終了となりました。
軽く望んだ幕山、休憩を含め、九時間の山遊びとなってしまいました。(02/07)
窟守る苔むす地蔵 土肥城址 幕山登山口を見張るトンビ(?)
ヤダケの路 陽だまりの幕山頂上 椿と梅と
梅林からの幕山 枝垂れ梅の咲きかげん 662峰への路
「雨引の里と彫刻 実行委員会」から開催パンフレットが昨年末届いていた。
筑波山を見ながら、雨引の里を巡るのも珠にはいいかな、と出かける。
今回は二年置きの八回目だとか、前回(調べてみると第三回展らしい)訪ねてから10年の年月を経ている事になる。早いものである。
製作者本人がガイドするバス・ツアーは、作家の生の声を聞く事が出来、非常に興味深いものであった。
世に背を向けるように(これは単なる私的表現)石に刻む姿は、実際目に触れずとも感動的である。
多弁は無用、作品だけ、一部紹介してみる。
詳しくは、このサイト「雨引の里と彫刻 実行委員会」へ。(01/30)
岡安孝昌作品 大栗克博作品 渡辺治美作品
何処に行こうかなと思案顔、無造作に箱に入っている傍らの地形図を見ていたら、「外秩父七峰縦走ハイキング大会」の地図が目に入る。
これはいい!足試しに行ってみるかと即決。ただ千葉からだと、なかなか電車でとはいかない。
車で起点を考えると橋場BSがベストのように思える。全山走破という訳にはいかないが、気にする必要も無い。
夜明け頃にはスタート地点には居たいものと車を走らせる。天気は晴れに向う予報、が、曇天、山間部に入ると雪がちらついている。
まぁ、冬タイヤだし、きょうは歩きがメーン、躊躇なく、まずは粥新田峠目指して歩き始める。
ただ、例の如く、登山口から、意図した訳ではないのに、正規ルートをはずしたようだ。
採石場、横に鳥居を見かける。「山ノ神」とある。奥に進んでみる。碑があり「大山津見神」と記されている。更に奥への路は消えている。
なので、少し下り、民家の庭を横切って、踏み跡を辿っていく。上の集落との通行路だったらしいが、今使われてなくて伐採された木が路を塞ぐ。
ともかく通り抜けると一反程の田んぼに出くわす。水を引き込んだ貴重な水田である。そこから続く車道を進むと集落にでる。栗和田部落なのだろう。
視界が開け、気持ちよい。段々の小さな畑と家々、下から見上げると斜面に張り付いて見えているのであろう。淡雪を頂いた道祖神がかわいい。
やっと、粥新田峠の登山口である。うっすらと雪が地面を覆っている。晴れる気配はないようだ。それもいい!ともかく薄くても処女雪を踏む事になる。
大霧山は正に霧の中、ベンチにも淡雪が。一呼吸入れて先へ進む。つぎの通過ポイントは定峰峠。
展望はない、ただ歩くだけ。でも愉しい。展望に引きづられず山そのものを楽しめる。2~3㎝の雪に森の動物の時には鳥の足跡が愉しませてくれる。
峠道はひとの匂いもする。祠があったり、いつの時代のものか石積みがあったり飽くことがない。
そして定峰峠へ。桜咲く季節は渋滞するであろうその車道は、きょうは1筋2筋の轍が有るのみ。渡って白石峠へ。
ここから、828㍍峰の道は両脇の笹がアクセントになり気持ちがよい。200段近くの丸太の階段を下るとそこが白石峠。
車が3台、冬タイヤ無で登ってきてUターンしている。軽トラの係りの人が通行止めの標識を設置している。
東屋でおにぎりをお茶で流し込んで更に先に進むことに。直ぐに剣ヶ峰である。降りて林道を歩けば堂平山
今日は月曜日だし鉄格子が閉じられている。天文台もガスの中。いつも下を通っていて寄りたいけど人多いと避けていたけど、こんな日に初来訪とは。
人の足跡発見!ここで折り返したらしい。長居無用でその足跡を辿るように堂平山を後にする。それは七重峠でお別れとなる。
そして笠山に。笠山神社にお参り。いつも思うのだが、どれほど山深くても、里人がしっかりお守りしているのが見て取れる。その心に頭を垂れる。
後は萩平地区から皆谷BSへ、そして橋場BSまで、もうすぐである。萩平集落はまるで隠れ里みたい。
何の木だろうか、剪定に精を出していた里人にBSの場所尋ねながら、ほっかりとした気持ちで車に辿り着きました。(01/24)
栗和田集落 道端の石仏 大霧山三角点
定峰峠 白石峠の通行止め 白濁の中の堂平天文台
見かけた足跡? 笠山神社 萩平十字路を目指して
もう何日好天が続いているのだろう。この地に住む都会者にとっては、すこぶる過ごし易い今日この頃ではあるのだが、さて?
地球環境に想いを寄せながらも、山好きのZIOめにとって、関心は展望の山へ。この期を逃すは神仏にも失礼とばかりに山に行ってきました。
先日の三方分山で南アルプスの全景を堪能できなかったのが心残り。
そこで、その欲求を満たす毛無山~タカデッキ~雨ヶ岳のコースを企画、朝三時起きで高速に。
もちろん、そんなに早くなくてもいいのだが、都心の渋滞を避けるのがまず第一。
それに、緊張して寝付けないので、いっそ起きてしまうのが第二。高速早朝割引料金を利用することができるが第三の現実の理由である。
その為、途中ハイウェイPAや道の駅で仮眠するのが常、今回は鳴沢の道の駅を利用。ここで朝食代わりのコンビニ稲荷を食べ、トイレを済ましてGO!
ところが、毛無山登山口から間違いをしてしまう。ここはMTBの練習コースが縦横に開かれている所、うっかり、そちらに入り込んでしまい30分のロス。
その所為か、寝不足か、はたまた体力の低下の為か、結構しんどくて息切れ、後発の単独行者に抜かれる始末で、山頂まで三時間を要してしまう。
この時点で雨ヶ岳までの縦走を放棄、タカデッキまでとする。
予想通りの晴天、終始富士山を見ながらの山行は苦しさを癒してくれる。
春、躑躅咲く路も素敵だろうが、冬枯れのこの葉越し富士を見ながらのも、なかなか捨てがたいものがある。
以前、この山を訪れた時は下部温泉からの路であった。それ故突然の富士山の存在感に圧倒された思い出が有る。
今回は、既に登る前から見ている訳で、そんなにドラマチックでないけど、やはり、いい。
山頂で、間食程度にアンパンをかじり、山を少し見惚れて、タカデッキへ。そこへの稜線がなかなかすぐれもの。道も整備され迷う心配はない。
大見岳からの下りに雪が残るも雪踏みの楽しさの範囲内である。そして笹茂るタカデッキに。今日の第一の目的、南アルプスの白き峰々が広がる。
暫し見惚れる。ただ適当なランチ場所がない。立ち止ると汗をかいた背が冷たい。きょうはここで引き返し手頃なところでランチ。
タカデッキからの途中、二人連れとすれちがう。端足峠を下るとか、ご一緒したい衝動にかられました。
縦走は断念したけど、気持ちよい山行でした。(01/19)
定番毛無山からの富士山 タカデッキへの道 タカデッキへの稜線からの富士山
南アルプス遠望 樹間からの赤石山脈 毛無山を振り返る
伊豆・伊東への、お出かけは、どうしても気持ちも装備も観光客仕様、でも高いところを見ると登ってみたくなる習性に抗し難く大室山に。
残念な、と言うべきか、幸いというべきか、ここはリフトのみの登山路なし。
何時の雪だろう、北斜面にかかるリフトの足下はゲレンデのように雪に覆われている。見事な円錐形である。そしてかなりの急角度である。
調べてみたら標高350㍍から550㍍、200㍍を昇り、歩いたら40分位はかかりそうである。
山頂の火口歩きは愉しい。360度の展望は心浮き立たせてくれる。
ただ、画竜点睛を欠く、富士山だけが雲の中、でも天城の山並み、万太郎・万次郎が良く見えている。そして相模の海が輝いている。
五智如来を担ぎ上げた強力兄弟に感心しながら一周、帰りのリフト乗車の頃には富士山も頭だけ出してくれて、まずはメデタシメデタシでありました。
帰路に熱海の伊豆山神社に寄って見ることに。そして、ならば「走り湯」から本宮への石段を歩いて見る。
梁塵秘抄によると富士、戸隠、大山と並び四方の霊験所の一つと数えられている地とか。今、はやりのパワースポットとか。
何より源頼朝、源家再興の祈願所。さっき訪れた伊東市の音無神社も頼朝と八重垣姫の松川をはさんでの逢瀬の話を聞いたばかり。
頼朝、政子の因縁も含めて、中世の匂いがプンプンする伊豆路でありました。(01/14)
天城連山を望む 大室山火口辺上の石仏 微かに雲の間に頭をだす富士山
パワースポット白山社への入り口 伊豆山神社参道 走り湯
今日も冬晴れの気象予報、やはり富士見山行が、一番この時期には相応しいのでは。
ならば、富士五湖周辺、まだ歩いてない三方分山に決定、精進湖を目指す。
今日は寒そうだ。道中の温度表示板が-5度を示す。これでは山頂で風でも吹かれたら体感-10度になってしまう。
気合を入れて精進湖畔よりまずパノラマ台を目指す。遊歩道のような道、とても歩き易い。
なにより落葉樹帯の見通しの良い冬枯れの路は大好きである。木々の間から山並みが望めるのもいい。
根子峠に辿り着くと南アの赤石岳だろか、白銀の山嶺が飛び込んでくる。もう、それだけで嬉しくなってくる。
そしてパノラマ台へ。まさにその通り、富士山がどんと、鎮座ましましてる。頭上に太陽、光背を頂く大日如来である。
南アルプスの峰々も素晴らしい。
木々が全景撮影を許してくれないが、聖の山頂部、赤石、荒川三山、白峰三山と、眼にはしっかり焼き付けることができた。
そして、これから目指す三方分山までは右手に富士山、左手に南アと贅沢な道連れとの道中である。
観光シーズンは、さぞハイカーが多いだろうが、今の時期は数えられる程、まさに今がベストシーズンかもしれない。
三方分山に到着、なだらかである。富士山側以外は疎林が展望を遮る。ここでランチにする事にする。
陽だまりの風の無い所を探す。とにかく寒い、手袋した指がかじかむ。まずは暖かい物をとコンロに火を入れる。
コンデンスミルク入りたっぷりの、おまけにウィスキー入りのH・コーヒーを、あんぱん・バナナと一緒に頂く。おいしい!これが定番である。
が、そのコーヒーもすぐ冷たくなる。早めの店じまい。下山後の温泉を夢想して足早に女坂峠を目指す。
峠では、ここにも首の無い石仏が。先日の地蔵岳でもそうでした。そして日本国中どこでも。
明治の廃仏毀釈の-のエネルギーのすごさ、それはとりも直さず庶民のそれ、ということになるのだろうけど、を思わずにはいられません。
結局、仏は外来のものなのであろうか。
五湖山の途中まで行ってから引き返し、峠道を精進湖へと下りました。
その峠道、往時を窺わせる石積みの佇まい、駿河と甲府との往還であったとか、
登山口には兜作りの藁葺きの民家があったりして、好印象の内に今日の山行を締めくくる事ができました。
お約束の温泉は「ゆらり」が混んでそうだったので、隣の休暇村のお風呂に。
これは正解、800円で温泉ではないけど、人が少なく貸切状態、富士山も真正面、露天の寝湯に浸かって、暫し「うつらうつら」でした。(01/10)
いざ出発!精進湖で パノラマ台への路 根っ子峠、この間越しに南アが
精進湖越しの王岳、十二ヶ岳 抱き富士 雨ヶ岳方面
赤石山脈 三方分山から 三方分山を振り返る
女坂峠 中道往還を偲ばす石積み 往還宿の名残か
日本海側が大雪が続く中、関東平野は青天の毎日。
この両者のいいとこ取、晴れて展望が良くて、雪遊びが出来る、これにピッタリの山として赤城山地蔵岳と決定。
幸い、冬タイヤ装着も年末に完了、雪道走行の事前練習にもなり一石二鳥なると、ひとりご満悦であります。
姫百合駐車場を過ぎると、いよいよ雪道、慎重に上がってゆきます。
まず気になるのが駐車場、しかし心配無用、「日本一小さいスキー場」の前がしっかり除雪され、広々、更にトイレも完備され言う事なしである。
朝日が眼前の黒檜山に当たってきた。真っ白に化粧した斜面は光を受け輝いている。頂上に着く頃には消えているだろう、しっかり目に焼き付けて置く。
スキー場の中の通過は憚れる、ちょうど雪が笹を覆ってくれているので地蔵の肩目指して直登して見る事にする。
森に入ったら、まあ、鹿の独壇場、いたる所に鹿道が出来ていて、寝転がった場所、糞尿の場所が、其処彼処、
でも、鹿の通る道は歩き易い路、それをなぞりながら、登山道へ、所により膝上ラッセルをしつつ肩で合流、疲れたけど、愉しんでしまいました。
後は、天上の散歩道、360度の展望を愉しみながらのピークへの路です。
圧巻は谷川連峰、武尊の山並みでしょうか、孤高を保つ浅間の勇姿も見事です。勿論、赤城の峰々も、黒檜山は白装束をときつつも存在感は最たるもの。
地蔵岳、その石仏の佇まい、いいですね。廃仏棄釈のためか、首が無く、石が乗るその姿は、人間の所業、そのままの姿なのでしょう。
微風ながら北風が冷たい。南面するTBS中継所の陰が比較的穏やか、そこでランチにする事に。
眼下に前橋、高崎の市街が光っている。目を上げると、山並みの上に富士山が、とすると東で対峙している山は筑波山!
ちょいと、刺激的。標高から言えば、とても比較にならないのに、対比できる。古代の人が対比して歌に詠んだのも、うべ成るかな。
まったりランチは至極の刻、それにしても誰も居ない。踏み跡からすると正月は大分賑った様である。
さて、降りることに。八丁峠方向に進む。路はしっかり踏まれ、ラクチンの路である。往きに2倍の時間をかけて這い上がったのとは、えらい差である。
終着点の「日本一小さいスキー場」、ちびっ子達が楽しんでいる、いい景色である。(01/05)
朝日を浴びる黒檜山 到る所、鹿道の地蔵北斜面 誰が書いたか新年のメッセージ
群青の空に屹立する白樺 浅間山遠望 浅間のアップ
地蔵岳から武尊・谷川連峰を望む
地蔵岳よりの黒檜山 石仏・石塔群 奥に筑波山の姿も
皆様、あけましておめでとうございます。
本年も、旧年同様よろしくお付き合いの程、よろしく申し上げます。
初登りとは、とても心苦しいのですが、三日の日、前丹沢、大野山にいました。
刻は正に駅伝戦国時代、見下ろす湘南海岸を各大学の学生ランナーが母校の襷という得体の知れないプレッシャーを背負っていた訳です。
始めは単独で塔ノ岳でも思ったのですが、そんな勝手は家庭内却下、なんとか折り合った場所が大野山だった訳です。
そんな、ごたごた小田原評定、着いた山上では既に富士山は、お隠れあそばしておりました。
それでも、丹沢主峰の峰々はクッキリ、見下ろす丹沢湖もなかなか素敵でありました。(01/03)
箱根同様夜半の雪、富士山は雲の中 丹沢主峰がクッキリ 江ノ島が見えてます